川津祐介の病気と闘い続けた半生と50年越しの結婚式「金婚式」に涙腺崩壊…3度の心停止…3ヶ月という余命を乗り越えた後に最愛の妻を襲った病魔に驚きを隠せない…

川津祐介の病気と闘い続けた半生と50年越しの結婚式「金婚式」に涙腺崩壊…3度の心停止…3ヶ月という余命を乗り越えた後に最愛の妻を襲った病魔に驚きを隠せない…

みなさん、こんにちは。

TBS系連続ドラマ「ザ・ガードマン」などで人気を博した

俳優の川津祐介(かわづ・ゆうすけ)

本名・川頭祐一(かわず・ゆういち)さんが

2022年2月26日に死去していたことが

2022年3月3日、わかりました。86歳でした。

川津さんは2021年秋頃から体調を崩しており

療養していたようです。

ただ、現在の時点では具体的な死因については

一切明らかにされていません。

では、世間の反応を見て見ましょう。

”格好良くて好きな俳優さんでしたが

最近では活動の場を違う分野にうつされて

お目にする機会が減っていました。

仕事や趣味以外では、健康や介護にも関心が高かったようで

いろいろと勉強させていただきました。

ジャンルにとらわれない、本当に多方面にマルチなお人でした。

健康には人一倍気をつけておられたでしょうが

この度の訃報は残念に思います。

どうかゆっくりとお休みになってください。

ありがとうございました。”

”金八先生の上林先生役が印象的でした。

校内暴力が横行していた当時、毅然と立ち向かい

ホームルームで生徒に黙想をさせてましたっけ。

自分に置き換えてもそうですが

中学生の時って先生によって態度を変えていて

怖い先生の前では猫を被ったように大人しくしてた。

神林先生はまさにそんな感じの先生でしてね。”

”アクの強さやニヒルな雰囲気を

漂わせている俳優さんは多くおりますが

川津さんのように、どの役を演じられても

上品で凛とした佇まいを醸しだされていらっしゃる方は

そう多くはなかったと思います。

それが川津さんの個性だったのでしょう。

またひとり昭和の名優が亡くなられました、残念です。

ご冥福を心よりお祈り致します。”

今回は、そんな川津祐介さんの

これまでについて調査していきます。

まずは、川津祐介さんのプロフィールからご紹介します。

本名:川頭祐一

生年月日:1935年5月12日

出身地:東京都

職業:俳優

活動期間:1958年〜2022年

川津祐介さんは東京都生まれ、神奈川県育ち。

慶大在学時に、映画監督だった兄の縁で木下惠介監督から誘われ

1958年に映画「この天の虹」でデビューします。

実力派俳優として人気を博し65年から6年続いた

「ザ・ガードマン」では荒木隊員役でレギュラー出演し

激しいアクションが話題となりました。

88年のNHK連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」では

山口智子演じるヒロイン・純子の父親役で好演。

俳優業以外にも

フジテレビ系「くいしん坊!万才」の5代目リポーターや

東海テレビ「てれび博物館」の司会を23年間務めるなど

MCとしても活躍しました。

多趣味でも知られる、元祖マルチタレントで

絵画や陶芸では個展を行い

趣味の料理を生かしてレストランオーナーも務めました。

88年には、自らのダイエット経験をつづった著書

「こんなにヤセていいかしら」を刊行し

ベストセラーとなりました。

私生活では、1964年に

松竹ニューフェイスの女優だった愛沙さんと結婚します。

当時の愛沙さんは松竹の若手女優でしたが

川津さんと結婚した6ヵ月後に芸能界を引退し

それ以降は専業主婦として家庭を支えています。

また、2人の人生は闘病(介護)の連続でした。

これまでに川津さんは心筋梗塞や肝臓癌を経験しており

愛沙さんは脳梗塞を経験しているのです。

その際、お互いがお互いを懸命にサポートすることで

病気を乗り越えてきたというわけです。

川津さんが、60歳の時に

心筋梗塞による心停止を3回も起こされていました。

医師から余命3ヶ月を宣告されています。 

しかし、奇跡的に手術に成功し、一命を取りとめています。

自身のブログでも

” 「私は三回死んだ」 私は三回死んだ。そして三回生還した。

その体験を通じて霊的な次元で体験し頂いたものは

生命には替えられないものがあった。

一番大きなことは、大いなる存在は居られるという確信だ。

それを神と呼んだら良いのか。仏と言うべきなのか。

それとも大いなる宇宙の意思と表現すればよいのか、分らない。

しかし、人間を超える存在があるという確信を頂いたことは大きい。 

そしてもう一つ大切なことは

人間の生命はこの世限りのものではない

と言うことを知ったことだ。”

と綴っています。

しかし次は、支えていた愛沙さんが

脳梗塞で倒れてしまいます。

時には妻に介護され、時には妻を介護し

夫婦のあり方が変わってきたそうです。

川津さんが仕事で忙しかった時は

一緒に食事をされることも少なかったそうですが

川津さんが倒れてからは、ずっと一緒に居たそうです。

お互い大変な時に支え合った事で

今まで以上に絆が深くなったのでしょうね。

そして結婚して50年たった夫婦の記念イベント

金婚式が素敵と話題で

川津さんは、ブログで次のように書かれていました。

『御挨拶

事情があって、私たちは

結婚式を挙げることが出来ませんでした。

二人で箱根神社にお参りをして結婚式に替え

銀座の銀芳堂画廊で二人展を開いて披露宴に替えました。

今回、ある方のお勧めを頂いて

結婚式・金婚式をGLA総合本部本館御聖堂にて

4月12日に挙げさせて頂きました。

(内々だけの御式とさせて頂きました。)

そして、披露宴に替えて二人展を

新宿京王プラザホテル三階ロビー画廊にて

開かせて頂くことに致しました。

五十年前の披露宴をなぞって

展覧会場を披露宴会場に見立てて

皆様にご挨拶をさせて頂きます。

川津 祐介   愛沙』

川津祐介さん夫婦が結婚式をされていなかったので

金婚式の時に、結婚式と金婚式として

お祝いの式を挙げられていました。

金婚式と結婚式を一緒にと

友人に勧められてもなかなか実行される人は

いないのではないかと感じてしまったのですが。

金婚式と結婚式を同時にあげようと思われた

川津さんはとても素敵な人ですよね。

それだけ愛沙さんの事を想っているというのが伝わってきます。

川津さんにとっても、愛沙さんにとっても

一生忘れられない結婚式・金婚式でしょう。

川津さんと愛沙さんの間には4人の子供がいます。

長女は、川津愛さん。

次女は、川津花さん。

三女は、川津春さん。

長男については、名前がわかりませんでしたが

父親が経営していたレストランで料理長を務めているようです。

ただ、息子さんの写真は確認されておらず

その素顔までは分かっていません。

長女と三女はともに女優になったそうです。

父親が俳優だったので自然と女優志望になったのでしょうか。

ただ、2人とも現在は女優活動をつづけてる気配はありません。

三女の川津春さんは、2009年に

イギリス人男性と結婚してるので

専業主婦になってるのかもしれませんね。

川津祐介さん、若い頃凄かったというエピソードがあります。

それはどのようなものなのか?実際に調べてみました。 

調べてみてわかったのですが、川津祐介三さんは

慶應義塾大学のしかも医学部へと入学していて

当時はお医者さんを目指してしたそうです。

大学2年生の時に医学に対し疑問を感じ

経済学部へと転部されたそうです。

2017年、NHK・Eテレの「ハートネットTV」に

愛沙さんと2人で出演したのを最後に

最近は、メディアの出演がなかった川津祐介さん。

川津花さん、川津春さん、孫3人たちと同居されていて

仲良く暮らされていたそうです。

自宅には、約18畳の陶芸用の工房と

13畳ほどのアトリエがあり

16歳からやっている陶芸を続けられていたそうです。

今回は、川津祐介さんの

これまでについて調査していきました。

幾度の病気を乗り越えてこられた川津祐介さん。

そこには、愛沙さんとの

深い愛と絆があったからでしょうね。

これからは、天国で皆さんを見守って欲しいですね。

最後までご視聴ありがとうございました。

コメントを残してくれると嬉しいです。

チャンネル登録、高評価も是非お願いいたします。

それでは、また。

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