久保田早紀の芸能界から消えた理由に驚きを隠せない…『異邦人』に対するまさかの想いに一同驚愕!!

久保田早紀の芸能界から消えた理由に驚きを隠せない…『異邦人』に対するまさかの想いに一同驚愕!!

みなさん、こんにちは。

今回は、日本の歌手、シンガーソングライターで

キリスト教音楽家、日本バプテスト連盟加盟教会の教会員である

久保田早紀さんの夫との離婚の噂や

子供について、大ヒット曲『異邦人』の裏話

芸能界デビューのきっかけなど

仕事とプライベートの両方から調査していきます。

まずは、プロフィールです。

本名:久米 小百合(旧姓:久保田 小百合)

久保田早紀さんでの活動は1979年~1984年までで、

現在は久米小百合さんとして活動しています。

生年月日:1958年5月11日

出身地:東京都国立市

出身校:共立女子第二中学校・高等学校
    
共立女子短期大学文科国語卒

です。

次は、芸能界入りのきっかけについてです。

松任谷由美さんや矢野顕子さんに

憧れていた久保田早紀さんは、

大学在学中の1978年、

『ミス・セブンティーンコンテスト』に応募しました。

ところがそれは、

アイドル対象のオーディションでした。

それを知らないで応募したのが

芸能界入りのきっかけのようですね。

結構そそっかしい性格なんですかね。

一次審査を通過した久保田さんは、

二次審査が水着審査と聞いてビックリしたそうです。

断る代わりとして東京・六本木の

CBSソニースタジオで弾き語りを披露することに。

そこでディレクターの金子文枝氏に出会いました。

まず、その審査を断ったことがすごいですよね。

金子氏の指導の下、デビューを目指し、

CBSソニーに通う日々を送ります。

キッカケはどうであれ、

結果オーライだったようで楽しくも忙しい

そんな成長できる時間を過ごしたようです。

そして、大学通学途中の中央線に乗車中

生まれた曲が後に大ヒットとなる『異邦人』です。

そして1979年に短大を卒業すると、

その年のうちに三洋電機が

タイアップに付いてデビューが決まります。

まさに電撃デビューですね。

ちなみに、『異邦人』は当初『白い朝』という

曲名だったのはご存知ですか。

曲調もヨーロッパ調の明るい感じだったそうです。

しかし、CM映像がアフガニスタンで撮影されたことや、

当時流行していたエーゲ海・地中海

などの異国情緒などが意識されていたため、

歌詞・曲ともに大幅なアレンジが施されました。

そして最終的に、音楽プロデューサー

酒井政利氏の判断で『異邦人』と改題され、

「-シルクロードのテーマ-」という

サブタイトルも付きました。

こんな裏話があったのは驚きですよね。

そして、この曲の中でも特徴的なのは前奏です。

異国情緒を感じる、一度聞いたら

忘れられないインパクトがある曲調になっています。

12月13日に、「ザ・ベストテン」

に第5位で初登場した際には

その美貌にも注目が集まりました。

12月27日には第1位を獲得、

1980年1月17日まで3週間連続

(正月休みを挟み実質4週)で1位、

その後、3月6日まで12週の長きにわたり

連続ベストテン入りする大ヒットとなりました。

当時パチンコ屋で『異邦人』が流れると、

お客さんがみんな手を止めたとの噂もあります。

そんな、久保田早紀さんは夫と離婚のウワサもあります。

久保田早紀さんは久米大作さんとの

結婚をきっかけに、

1984年11月26日東京・九段会館での

フェアウェルコンサートを最後に、

デビューから僅か5年ほどで芸能界を引退しています。

ファンとしては嬉しくも悲しい出来事でしたね。

夫の久米大作さんという方は、どんな方なのでしょうか?

プロフィールは、

生年月日:1957年7月23日 

出身地:東京都

出身校:学校法人明星学園高校

日本大学芸術学部卒業

職業:キーボーディスト、作曲家、

編曲家、音楽プロデューサー

です。

久米大作さんのお父さんは、

俳優・声優・ナレーターとして

知られる久米明さんでした。

久米大作さんは、大学在学中に

フュージョングループ『プリズム』の

1stアルバムを発表し、活動を始めました。

現在は作曲家、編曲家として活動していて、

最近は舞台、映画、コマーシャルなど

様々なジャンルの音楽を手がけています。

更に、音楽学校メーザー・ハウスでキーボードと

作曲の講師も務めています。

本当に多彩で才能豊かなことがわかりますね。

久米大作さんがプロデュースする

新しいアコースティック・ユニット

『Birth of Aria』の1stアルバムが

2017年9月20日に販売されています。

久米小百合さんと離婚しているという

ウワサがありましたが、

離婚はされていないようでした。

あくまでもウワサでしたね。

久保田早紀さんの子供は何歳で何人いるのか

についても調べていきます。

久米小百合さんは、長い不妊治療を

経て1997年39歳の時に長男が生まれました。

出産後太ってしまって、戻らないと

久米小百合さんは嘆いていたそうです。

念願の出産でしたが体調管理には

苦労したようですね。

そして、お子さんは恐らく一人だと思われます。

ご長男は、ご両親が音楽活動をしている影響で、

将来は音楽方面に進むんでしょうか。

気になりますね。

最後に、音楽に関して悩んでいたことについて

調査していきます。

デビューして数年が経過した時に

「超有名な男性アイドルの方がいて、

カメラマンが『頬と頬をもっとくっつけて』と。

注文には応じながら、胸の内では

“私がやりたかったのはこんなことじゃない”

と悔しさをこらえていました。」

と某インタビューで答えた出来事がありました。

私は、どこへ向かっているんだろう。

虚像と実像のギャップを少しでも埋めようとしたとき、

久米小百合さんが試みたのは、

自分の音楽のルーツに立ち返ることでした。

「本来、音楽は楽しいものだったはず。」と考え、

それで好きだったユーミンさんからガロ、ビートルズ、

フォークソング、グループサウンズとさかのぼっていって、

たどり着いたのが賛美歌だったそうです。

都内のプロテスタントの教会で洗礼を受けたのは、

デビューからちょうど2年目。

そして、84年11月のコンサートで、

「久保田早紀商店は、今日で閉店です!」と宣言して、引退。

4カ月後には26歳で結婚し、

本名の久米小百合に戻って、音楽伝道師となりました。

現在、久米さんは依頼に応じて、

日本中の教会でライブや講演会を行っているようです。

教会には信者だけでなく、ふらりと立ち寄る人も少なくないそうです

「『異邦人』の久保田が来るならと思って初めて教会に来て、

のちに洗礼を受けたいという方もいるそうです。

音楽伝道師冥利に尽きますよね。

「異邦人のデビューから暴走列車に

振り回されるような人生だった」

と後に語る久米小百合さん。

デビュー曲の 『異邦人』は、

その後もたびたびCMソングに起用され、

数多くのミュージシャンにカバーされる

など、長く歌い継がれる曲となっています。

今後も長い間元気でいて欲しいですね。

最後まで、動画をご視聴いただきありがとうございました。

コメントを残してくれると、嬉しいです。

チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。

それでは、また。

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