三田明を突然襲った事故…多額の借金に耳を疑った…『御三家』のライバルで「美しい十代」でヒットした歌手のまさかの現在に一同驚愕…
みなさん、こんにちは
今回取り上げるのは、
日本歌謡界を語るうえで外せない
三田明(みたあきら)さんです。
歌だけでなくものまねも得意だったことで
歌謡番組からバラエティ番組まで引っ張りだこでした。
最近その姿を見かけませんが、
果たして現在の三田明さんは
何をしているのでしょうか。
そんな三田明さんのプロフィールは次の通りです。
本名:辻川 潮
生年月日:1947年6月14日
出身地:東京都昭島市
所属:太陽企画株式会社
1962年にオーディション番組
「味の素ホイホイ・ミュージック・スクール」に
出演したことで、芸能界入りした三田明さん。
1963年に「美しい十代」で歌手デビューし、
1964年には同名の映画で主演を務めています。
当時は橋幸夫さん、舟木一夫さん、
西郷輝彦さんからなる御三家が大人気でした。
御三家に比べると、やや後発のイメージがある
三田明さんですが、御三家に三田明さんを含めて
「四天王」と呼ばれることもあったそうです。
1964年から1969年まで、6年連続で紅白歌合戦に
出演するなど名実ともに
一時代を築いた三田明さん。
日本人で初めて「Esquire」誌の「世界の百人」に
選ばれるなど、日本文学界を代表する
作家の三島由紀夫さんも三田明さんのファンの一人です。
「三田明が天皇だったらいつでも死ぬ」
三島由紀夫さんは、このような発言をするほど
三田明さんに魅了されていたようです。
ものまねと言えばものまね芸人や
お笑い芸人というイメージですよね。
ところが大スターの三田明さんも
ものまねが大の得意として知られています。
自身のショーでものまねコーナーを作るほど
ものまねに自身を持つ三田明さん。
テレビ番組「象印スターものまね大合戦」などの
ものまね番組で大賞の常連となっていました。
そのレパートリーは森進一さん、橋幸夫さん、
舟木一夫さん、西郷輝彦さんなど当時の大スターばかり。
今はもっとレパートリーが増えているかもしれません。
順風満帆な人生送っていた三田明さんですが、
1979年12月、三田明さんはテレビを観ながら
食事の準備をしていました。
すると、火にかけていた鍋の油から出火。
気が動転した三田明さんは油に水をかけてしまいました。
煮えたぎった炎と油がはね返り
三田明さんの顔面を襲い、
絶世の美少年だった顔を失いました。
三田明さんは、その事故を境に
死亡説までささやかれ、
そのまま表舞台から姿を消しました。
現在74歳となった三田明さんの顔には
火傷の痕は残っていません。
実は、顔面火傷のあと緊急搬送され、
症状は皮膚から皮下組織にいたる火傷で
顔面の皮膚移植もさけられない状態でしたが、
医療スタッフの懸命の努力と、
幾度にもわたる治療で
顔の皮膚は奇跡的に完治したのです。
そんな三田明さんの一番の楽しみは、
行きつけのもんじゃ屋さんで楽しむ1人ビールだと言います。
悲劇の美少年歌手と言われた三田明さんの人生は、
とんでもない不幸の連続でした。
大火傷を負う前、人気絶頂だった1972年のこと。
所属事務所が倒産。
三田明さんが、トップスターになったことにより
所属事務所社長が事業が拡大したものの失敗。
社長は失踪し、三田明さんには負債の督促状が届きました。
何と事務所社長が各所への支払い名義を三田明さんの
名前で出していたのです。
その額1億5000万円。
三田明さんは車、マンションなど全ての財産を
差し押さえられ、極貧生活へと転落してしまったのです。
それでも、大好きな歌を続けるため
個人事務所を立ち上げ借金返済を決意。
しかし、決意から1年も経たない間に
さらなる悪夢が三田明さんを襲いました。
その日、三田明さんはコンサート出演のため
飛行機で福岡へと向かう予定でした。
しかし、羽田出発から約1時間後、
ハイジャックが発生。
羽田発福岡行きの日本航空351便が
ハイジャックされた日航機ハイジャック事件の便に
三田明さんも乗っていたのです。
犯人は乗員・乗客に拳銃をつきつけ操縦室のドアを
開けさせると機長にいったん羽田に戻って給油し
キューバに向かうよう要求を叩きつけました。
飛行機は急遽羽田に進路変更。
羽田で犯人は逮捕され、
事件は一人の負傷者も出すことなく解決しました。
たまたま居合わせた三田明さんは
一躍時の人となりマスコミから取材が殺到。
しかし、この時の記事で三田明さんは
さらなる地獄に落とされてしまったのです。
実は三田明さんは騒動の中、
爆睡していたため犯行を見ていませんでした。
当然取材に対し、多くを語れるはずもなかったのですが、
記者が「あの時のスチュワーデスさんとお付き合いしたい」
という記事を勝手に出したのです。
そのせいでマスコミは「不謹慎きわまりない」
「顔は良いが頭は空っぽ」と大バッシング。
このせいで三田明さんの人気は急降下。
そして顔面火傷が決定打となり、
三田明さんは表舞台から姿を消したのです。
三田明さんは歌う場所を求めて地方のキャバレーなどを
まわりました。
36歳で俳優に転身するも、
ヒットに恵まれることはありませんでした。
何とか稼がないといけないと
49歳でなぜか手相の本を出版するものの失敗。
続いて結婚についてですが、
世の人々を魅了していた三田明さんは
37歳の時に17歳も年下の女性と結婚しています。
奥さんの情報が殆どないことから
一般人だと思われます。
当時の日本歌謡界をけん引していた
三田明さんが、一般の方と結婚したというのは
少し意外でした。
ただ、一般人とはいえ、かなり綺麗な奥さんのようです。
今でもスターと結婚する一般人の女性は、
実はお嬢様だったという人も結構います。
三田明さんの奥さんも
由緒正しき家系のお嬢様なのかもしれません。
本当の一般人だったら、三田明さんのような
スターと知り合うきっかけもありませんよね。
なお、三田明さんと奥さんは、今でも家族関係者と一緒に
カラオケに行くなど仲は良いみたいです。
そういえば、ここ最近ではテレビで三田明さんの姿を
目にする機会がほぼありません。
では現在の三田明さんは、
一体何をしているのでしょうか。
調べてみると、現在の三田明さんは
BS放送の懐メロ番組やコンサート活動が中心になっているようです。
2012年にデビュー50周年を迎えた際には
「芸能生活五十周年記念コンサート」を行っていました。
デビュー50周年を迎えてもコンサートが出来るのは
根強いファンがいる証拠。
60周年、70周年のコンサートが出来るように
まだまだ元気で頑張ってほしいですね。
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それでは、また。