坂本龍一の子供達の現在や3度の結婚歴に驚きを隠せない…「世界のサカモト」と称された『戦場のメリークリスマス』で活躍したアーティストのまさかの現在に一同驚愕…
みなさん、こんにちは。
90年代以降はニューヨークを拠点に
「世界のサカモト」として
多彩な活動を続けている
坂本龍一(さかもとりゅういち)さん。
今回は、坂本龍一さんの、
父親・母親との関係性、
離婚理由・再婚の噂や
子供についてまとめていきたいと思います。
はじめに、坂本龍一さんの
プロフィールからご紹介します。
本名:坂本龍一
生年月日:1952年1月17日
身長:171 cm
出身地:東京都中野区
最終学歴:東京藝術大学大学院音響研究科修士課程
所属事務所:エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ
70年代の終わりから80年代にかけて、
シンセサイザ-を中心とした
テクノポップでミュ-ジックシ-ンを席巻した
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)。
坂本龍一さんは幼い頃から
クラシックに親しんで作曲を学び、
東京芸術大学から同大学院音響研究科へ進んで
修士課程を修了しました。
『戦場のメリークリスマス』では
大島渚監督の要望でヨノイ大尉を演じたほか、
音楽も担当。
この映画のサウンドトラックで
英国アカデミー賞の作曲賞を
日本人で初めて受賞し、
世界の注目が集まります。
余談ですが、
『戦場のメリークリスマス』は
戦争映画にもかかわらず
戦闘シーンがない映画です。
YMOの散開(解散)後はソロ活動を本格化。
『ラストエンペラー』では
世界的な音楽賞を総なめにしました。
そんな、輝かしい業績は世界的に評価され、
偉大なミュージシャンとして
名前が知れわたっています。
時には、「天才」と称される
坂本龍一さんですが、
坂本龍一さんは、
東京藝術大学大学院で
クラシックの理論を学び、
きちんとした土台の上で
ポピュラー音楽を創り上げてきました。
世界的な音楽家として大成したのは、
決して天性の才能ではなく、
地道な努力の影響が大きかったはずです。
ただし『ラストエンペラー』では
日本人初のアカデミー作曲賞を受賞するなど、
坂本さんの業績がかなり大きいのは事実。
偉業をPRする宣伝や広報の従事者が、
「天才」と彼を呼んで売り込み始めたため、
いつしか「天才説」が生じたのかもしれませんね。
そして、「天才」と呼ばれる理由の
もう一つの要因として、
お父さんの存在もあるかと思います。
坂本龍一さんの父親は、
名編集者として知られた
坂本一亀(さかもと かずき)さんです。
坂本一亀さんは、
学徒出陣で佐賀と満洲の
通信隊にいましたが、
敗戦により復員。
その後は、同人誌の発行がきっかけで注目され、
河出書房に入社しています。
『ドストエフスキー全集』の翻訳で知られる
米川正夫の担当編集者となり、
以降は戦後を代表する
名純文学を数多く担当しました。
三島由紀夫の『仮面の告白』を手掛け、
三島の名を世間に知らしめたのも、
坂本一亀さんの偉業の1つです。
1978年に退社後は、
構想社を設立しています。
2002年に80歳で亡くなりましたが、
息子である坂本龍一さんのことを
生涯褒めることはなかったそうです。
YMO結成後、奇抜な格好で活動する坂本さんに、
「お前をピエロにするために藝大に入れたわけじゃない」
と言い放った坂本一亀さん。
しかし、2018年放送のNHK番組
『ファミリーヒストリー』では、
息子の登場する番組や雑誌を
全てチェックしていたことが明かされました。
心の奥底では、誰よりも息子を応援し、
業績を認めていたのでしょう。
次に坂本さんの母親についてですが、
名前は敬子さんです。
帽子デザイナーとして活動しながら、
育児をこなしていたといいます。
池田勇人元首相の親友でもあった、
共保生命取締役の下村彌一の娘でした。
裕福な家庭で育ったため、
ピアノも上手で、
息子に初めて音楽を教えたのも
敬子さんのようです。
一人っ子の坂本さんに英才教育を施す、
優美な趣味の母親だったのかもしれません。
ただ当時は珍しいキャリアウーマンだったため、
夜遅くまで帰らない日が多かったそうです。
坂本さんは母の作り置きのカレーが大好きで、
いつも自分で温めて食べていたということでした。
孤独な影を宿した坂本さんの雰囲気は、
幼少期に1人で過ごすことに慣れたことで
身に着いたのかもしれませんね。
大学ではクラシックの理論を学ぶなど、
地道な努力の結果、
Mr.Childrenをはじめ、
多くの人気アーティストに影響を与え、
リスペクトされてきた坂本龍一さん。
一方で元妻である歌手の矢野顕子さんは、
専門的な教育を受けていない幼少期から、
音楽の才能に長けていました。
矢野顕子さんとの仲が急速に接近したのは、
1979年にスタートした
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の
ワールドツアーに彼女が参加した時でした。
坂本龍一さんが夢中になって
交際がはじまりますが、じつはこの時、
坂本龍一さんは東京芸術大学在学中に
学生結婚した妻との間に女児がおり、
しかも離婚調停中。
矢野さんはわずか9か月前に
前夫と離婚したばかりで
幼い男の子がいました。
それでも二人は早々に子供を授かり、
1980年5月に坂本美雨さんが誕生。
入籍や挙式などは形式にすぎないということで、
しばらくは事実婚の形をとり、
ようやく入籍したのは
美雨さんが2歳を迎える1982年でした。
1982年というと、
忌野清志郎さんとの
過激なパフォーマンスが話題を呼んだ
『い・け・な・いルージュマジック』をリリースした年。
翌1983年には、「世界のサカモト」の
本格的な出発点ともいえる
『戦場のメリークリスマス』が公開されています。
「子供はアッコと一緒に手作りっぽく育てるよ」
という言葉からは
夫婦円満ぶりがうかがえたのですが、
幸せな結婚生活は長くは続かなかったようです。
引き金は、坂本龍一さんの
女性問題だったといわれています。
結婚生活に影を落としたのは、
マネージャー兼秘書として
坂本龍一さんの事務所を
取り仕切っていた女性でした。
この女性と坂本さんは不倫関係にあったそうです。
愛人に気づいた矢野顕子さんは
何度も話し合いの場をもうけますが、
夫は「ごめんなさい」を繰り返すばかり。
不倫関係を清算することはなかったとのことです。
やがてアメリカ進出にともない、
1990年に生活拠点をニューヨーク州に移しますが、
一説によると、この移住は
愛人との関係を絶たせようとした
矢野さんが強く推し進めたものだとか。
ところが不倫関係は切れるどころか、
愛人もニューヨークに移り住むという展開に。
夫の女性問題に悩んだ矢野さんの
宗教問題が報じられたこともありました。
まもなく坂本さんは、
マネージャー宅に住むようになり、
彼女との間に男児が誕生。
ようやく離婚の話し合いがはじまったのは
2001年の夏頃らしく、
5年間もの協議を経て
2006年に正式に離婚が成立。
坂本さんは54歳、
矢野さんは51歳の時でした。
協議が長引いた一因は慰謝料の問題で、
数億円にのぼったといわれています。
なお、矢野顕子さんは
1990年に夫婦で渡米して以来
アメリカ在住ですが、
「さとがえるコンサート」をはじめとする
日本でのライヴ活動も続けています。
坂本龍一さんの再婚の噂の相手は、
かつての坂本龍一さんの不倫相手であり、
今のパートナーといわれているのが
空里香さんという女性です。
ですが、2017年の映画
『Ryuichi Sakamoto: CODA』の
エグゼクティブプロデューサーに
「空里香」の名前を確認することができました。
坂本さんが「すべてをさらけだした」と語る同作は、
5年間にわたるご本人への
密着取材によって実現したもので、
音楽家・坂本龍一の音楽と
思索の足跡を描いたドキュメンタリー。
公私ともにパートナーである
彼女だからこそ制作できた
映画だったのかもしれません。
空里香さんは、音楽コンサートの
舞台美術を手がけるクリエイティブ・ディレクターで、
坂本龍一関連の仕事だけでなく、
他のアーティストの作品や
舞台美術も手がけているとのこと。
再婚したのではないかという声もありますが、
今のところそういった報道はないようなので、
空里香さんとは事実婚にとどめている可能性が高そうです。
私生活では離婚で二度苦い経験をしている坂本龍一さん。
仮に結婚に及び腰だとしても不思議ではありません。
とはいえ、70歳間近という年齢を考えると、
近いうちに入籍のニュースが
飛び込んでくるかもしれませんね。
二度の離婚を経験している
坂本龍一さんのお子さんは、
何人いるのでしょうか?
矢野顕子さんを母にもつ
坂本美雨さんは有名ですが、
そのほかの子供たちは
あまり知られていませんね。
坂本龍一さんに息子と娘は
それぞれ何人いるのか、
また家族に孫はいるのかについて、
調べてみたところ、
かつてテレビ番組で、
パートナーの女性との間にも
子供(息子)がいることを
認める一幕があることが分かりました。
名前は音央(ねお)さんというそうです。
音央さんは、坂本龍一さんが
まだ矢野顕子さんと婚姻関係にあった
1999年に誕生しています。
そのころの坂本龍一さんは、
ニューヨーク州に移住して、
マネージャーの女性と暮らしはじめ、
本宅にはほとんど戻らなかったそうです。
音央さんの誕生後、
矢野顕子さんとは
2006年に正式に離婚が成立。
2017年のドキュメンタリー映画
『Ryuichi Sakamoto: CODA』には、
撮影を担当した「空音央」
という名前が確認できます。
不倫関係にあったマネージャーは
空里香さんといわれていますが、
この名前もエグゼクティブプロデューサーとして
記されていますので、
おそらく彼らが坂本さんの息子であり、
内縁の妻なのでしょう。
音央さんは映像関係の仕事をしているという
情報もありますから、可能性は高いと思います。
さらに、坂本美雨さんという
娘がいることは広く知られていますが、
じつは美雨さんは次女にあたります。
坂本龍一さんは矢野顕子さんとの
結婚前に学生結婚しており、
この最初の妻と間に長女をもうけています。
結婚生活が破綻して以来、
長女とは実に15年も会っていなかったそうです。
また矢野顕子さんも過去に結婚歴があり、
坂本さんとは再婚でした。
前夫・矢野誠さんとの間に
誕生した男児は連れ子であり、
坂本龍一さんと養子縁組しています。
「子供は4人いる」と
坂本さんが話したことがありますが、
整理してみると、最初の妻ともうけた長女、
養子縁組した長男、美雨さん、
音央さんということになります。
このうち長男とは血縁関係が
ないことになりますが、
矢野顕子さんとの離婚後に
養子関係を解消したのか、
継続しているのかについては不明でした。
長男には2014年に子供が生まれ、
矢野顕子さんはおばあちゃんに。
坂本美雨さんが2015年7月に女児を出産した際は、
この女児が坂本さんの初孫と報じられています。
坂本美雨さんについては、
元妻の矢野顕子さんとの間に
1980年5月1日に誕生。
当時、両親はまだ正式な夫婦ではありませんでしたが、
美雨さんが2歳になる少し前の1982年2月に結婚。
家族でニューヨーク州に移住したのは9歳の時でした。
同地では高校卒業まで過ごしたため、
バイリンガルだそうです。
1997年にSister M名義で
シンガーとしてデビューして以降、
音楽活動にどとまらず、ナレーション、
翻訳、詩作など幅広い分野で活動中です。
2014年3月1日には「入籍なう!」と
ツイートして結婚を報告しました。
お相手はブックディレクター・編集者の男性で、
本の制作から販売までの
総合的な仕事を手がけているとのこと。
彼と家族になれることがうれしくて、
まだ信じられないという言葉からは、
幸せいっぱいのようすが伝わってきます。
今回は、「教授」の愛称で親しまれ、
常に柔軟な音楽性で国際的に活躍する
元YMOの坂本龍一さんの、
父親・母親との関係性、
離婚理由・再婚の噂や
子供についてまとめて
ご紹介してきました
いかがでしたでしょうか。
作曲家、演奏家、指揮者、
音楽プロデューサーなど
幅広い活動を続けてきた坂本龍一さん。
近年は環境問題や政治活動にも
積極的に関わっていますので、
これからの活躍に
期待したいですね。
最後までご視聴いただき
ありがとうございました。
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それでは、また。