みなさん、こんにちは。 恋愛ソングといえばaiko。と言われるくらい 一流アーティストの領域といっても過言ではありませんよね。 今回はそんなaikoさんの壮絶で 悲しい生い立ちや結婚について ご紹介したいと思います。 まずはaikoさんのプロフィールからご紹介します。 本名:柳井愛子(やないあいこ) 生年月日:1975年11月22日 出身地:大阪府吹田市 血液型:AB型 身長:152cm 「カブトムシ」、「桜の時」、「ボーイフレンド」 「キラキラ」、「雲は白りんごは赤」などヒット曲を連発し 常に日本を代表する、女性シンガーソングライターとして 活躍を続けています。 そんな超一流アーティストのaikoさんですが 本名は柳井愛子さんですが、実は甲斐愛子さんという説もあります。 これには、深いわけがありaikoさんの 悲しく寂しい生い立ちが関係していました。 そんな、aikoさんの生い立ちについてご紹介します。 Aikoさんは1975年11月22日、大阪府吹田市生まれで 父、母の3人家族で1人っ子です。 父親は、ポポロというバーを経営されています。 そして母親は看護師として働いていたそうです。 aikoさんは、大阪市立北中島小学校に通っていました。 Aikoさん言わく、おてんばな女の子だったそうで 楽しく学校生活を送っていたそうです。 しかし小学5年生の時に問題が起きてしまいます。 それは、母親が急に家をでてしまい、急遽離婚することに。 そしてaikoさんは親戚に引き取られることになってしまったのです。 Aikoさんは後に、親戚の家では部屋に閉じこもってラジオをずっと聞いて 学校行ったら、「わー!」っておてんばな子だった。 と二面性を持っていたことを語ってしました。 今は、感謝の気持ちしかないけど、小さい頃に急に違う家行って 私も慣れへんくて。ずっとラジオをつけっぱなしにして 小学生の頃から夜中2時くらいに寝る子やった。とも言っています。 また、家庭環境もあってか、「お小遣いちょうだい」が言えず ずっと孤独やって思っていたそうです。 今のaikoさんがファンの方一人一人の声に 耳を傾けたり、話してくれたりといった部分は、 こういう時期があったからなのではないかなと感じます。 一人じゃない、たくさんの方に支えられてるということを 実感されてるんじゃないかなと思います。 親戚の家に預けられた頃から、歌手になりたい。と aikoさんは思っていたそうです。 高校生の頃から、ピアノを使って作曲を始めたそうで 高校を卒業するまでは、友人と一緒にバンド活動をされていたそうで J-POPのカバーバンドだったそうです。 そして高校卒業後、大阪音楽短期大学ポピュラー・ボーカル科に進学します。 短期大学では、音楽理論について学び、 KANの「TOKYO MAN」などを 何回も何回も繰り返し聴き込み、 曲に合わせてピアノの弾き語りの練習をし やがてオリジナル曲を作り始めるようになります。 Aikoさんは、初めて作った曲で、 ヤマハの音楽コンテストに応募し 全国大会でティーンズ大賞を受賞します。 その様子を見たFM OSAKAのプロデューサーが、 aikoを深夜の音楽番組のDJに起用、 aikoは、自分が担当するラジオ番組を通して、 ゲスト出演した歌手に、 「私は歌手になりたい!」という夢を語ったそうです。 この時、初めて作った曲は「アイツを振り向かせる方法」という曲で 「桜の時」のカップリングとして発売されています。 短期大学を卒業後は、 ラジオDJをしながら本格的な音楽活動を行うようになります。 別のヤマハのコンテストに出演し、 優秀賞を獲得したことをきっかけに ヤマハと1年間の契約を結び、 デビューに向けてレッスンを開始します。 その後は、誘われていた音楽事務所から インディーズアルバムを発売。 2枚目のインディーズアルバム制作途中に、 映画「新生トイレの花子さん」の 主題歌を歌うことが決まり、 1998年7月にシングル「あした」で メジャーデビューを果たします。 ついに、メジャーデビューを果たしたaikoさんですが、 色々と複雑な思いがあったそうです。 作詞は自分でしたけど、曲は自分の曲じゃないんです。 詞についても、「子どもが聴くから、作る時、難しい言葉は使わないでくれ」とか言われて。 そもそも私は、作詞をして、曲を作るほうだから、 逆に作曲された曲を聞いて詞を書くなんて、 初めてのことだったので、気持ちはいろいろと揺れ動きました。 デビューしたと言っても、自分の曲という感じもなかったので、 ピンとこなかったのが正直な気持ちかな」。と 当時について振り返っていました。 もちろん嬉しさはあったのではないかと思いますが、 それまでにいろいろ自分で曲を作ってここまで来たからこそ、 自分の曲でデビューしたかったという気持ちがあったのかもしれません。 メジャーデビュー後曲作りに苦労する中、 3枚目のシングル「花火」が大ヒットし、 人気アーティストの道を歩み始めたのです。 明るくて元気なaikoさんからは 想像できない苦労がたくさんあったんですね。 どんな時も明るく元気なaikoさんだったのだろうなと、 その姿が想像できます。 誰からも愛される子供でありますようにと、 愛子と名付けられたそうですが、 そのとおり誰からも愛される素敵な女性ですよね。 次は、aikoさんの恋愛と結婚についてご紹介します。 Aikoさんが行っていた、ラジオ番組に 国分太一さんが出演したことがきっかけでお二人は 1988年に交際がスタートします。 そして約8年も交際しており、誰もが結婚するのでは?と思っていましたが 2006年に破局報道がありました。 国文さんは、報道に対し、「発展的別離」との言い方で お互い了解の上でこうなった。としっかり認める発言をしていました。 その後、国文さんは結婚され、aikoさんは2011年に同じミュージシャンの 星野源さんと熱愛していることが発覚します。 しかしこの交際も4年の期間を経て破局してしまいます。 星野源さんの彼女と破局後の大ブレイクや TOKIOの国文太一さんもそうですが aikoさんと別れてからピンの仕事もバシバシ増えて しっかりTOKIO抜きでも活躍できるピン芸人に変貌したことから ネットでは、aikoさんはあげまんなんじゃないの?とも言われています。 国分太一さんと8年、星野源さんと4年も交際して なぜaikoさんは結婚できないのかという疑問が残ります。 そこには、aikoさんはかなりの、 依存体質なんじゃないかと言われています。 Aikoさんと破局後、女優の二階堂ふみさんに走った星野源さんですが その行為を知ったaikoさんは、 34枚目のシングル「プラマイ」の詩とMVの内容が かなりエグいと話題になっています。 MVでは主演女優が元彼のアパートに行って元彼の髪の毛を 食べる行為があります。 歌詞でも、あいつより好きだったとか言わないで。 逢いたいって言ってくれたらすぐ支度して飛んで行くから。など 未練たっぷりな歌詞が特徴的です。 ファンも当然この二人の熱愛と、破局後の動向を知っており aikoの精神状態をかなり心配していたそうです。 恋愛がなかなかうまくいかないaikoさんですが ついに、結婚することになります。 お相手は、ファンの人で年下だそうです。 aikoさんはラジオにゲスト出演した際に ファンの人と結婚できたらいいなー。 と思うなどとコメントしていました。 それだけにこの結婚発表はまさに有言実行と言えますよね。 aikoさんの好きなタイプは「優しい変態」だそうで 「私のことだけを見てくれる。 心の中までストーキングするくらい固執してくれる」といった 意味があるそうで、恋愛体質で粘着質で少し重めなaikoさんらしいな。と思います。 たしかに売れっ子芸能人よりは、 もともとファンだった一般男性のほうが、 心の中までストーキングしてくれそうですよね。 そうした要素も手伝って、現在のパートナーはaikoさんの心を 射止めたのかもしれませんね。 aikoさんは今では、超一流アーティストとして音楽界を走り続けていますが 悲しい生い立ちや、上手くいかない恋愛など過酷な人生を歩まれています。 これからは、本気で愛してくれる夫とともに、新しい世界観の楽曲を 届けてくれることを期待したいですね。 最後までご視聴いただきありがとうございました。 コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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