ZARD・坂井泉水が”あの人”にだけ見せた素顔に一同驚愕…!本名を隠し続けた理由…本当の最期に涙腺崩壊…!

ZARD・坂井泉水が”あの人”にだけ見せた素顔に一同驚愕…!本名を隠し続けた理由…本当の最期に涙腺崩壊…!

みなさん、こんにちは。

その透明な歌声と美貌で人気絶頂の中、

急逝したZARDの坂井泉水さんですが、

本名や家族などプライベートは謎に包まれています。
 
今回は坂井さんの本名にまつわるエピソード、

坂井さんの家族、彼氏や結婚などの噂を紹介します。

まずは、坂井さんのプロフィールを見ていきましょう!

生没年:1967年2月6日〜2007年5月27日(没年40歳)

出身:神奈川県平塚市

血液型:A型
 
となっています。

多くの人がZARDのボーカリストとしての、

坂井さんを認識しているでしょうが、

実はモデルとして活動していた時期がありました。
 
モデルやグラビアの仕事をしながらも、

歌手になるという夢を諦めきれなかった坂井さん。

1990年、スターダストプロモーションの、

代表取締役から才能を認められ、

「ZARD」としてシングル、

「Good-bye My Loneliness」でデビューします。
 
その後、「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」など、

9作でミリオンヒットを記録。
 
90年代を代表する、女性歌手となりました。

坂井さんは音楽活動を始めるまでは、

本名の「蒲池幸子(かまちさちこ)」という名で、

モデルやグラビアの仕事をしていました。
 
ただし、歌手として活動を始めて以降は、

歌番組の出演やライブ活動はほとんど行わず、

メディアへの露出がほぼないことでも知られています。
 
「美人だ」と言って、もてはやされることを嫌い、

音楽の実力だけをみてもらうためだったそうです。
 
そのため、坂井さんのプライベートは謎に包まれており、

かなり近しい関係者でも、坂井さんの本名さえ、

知らなかったと言います。
 
実は、こんなエピソードが、残っています。
 
ある日のレコーディングで、

いつでも全力で歌う坂井さんは、

過呼吸で倒れてしまい、救急車で搬送されることになりました。
 
デビューから全ての楽曲に、携わってきた関係者が付き添っていましたが、

レスキュー隊から、坂井さんに関して、

本名、血液型、年齢など聞かれても、何も答えられなかったと言います。
 
仕事の時は、どんなに心を許した相手であっても、

「坂井泉水」であり続け、「蒲池幸子」という素顔は、

決して誰にも見せなかったのです。
 
また、本名の「蒲池」というのは、大変珍しい苗字ですよね。
 
実は、もう1人大物女性歌手で、

同じ「蒲池」という苗字の人がいます。
 
それは松田聖子さんです。
 
松田さんの本名は、「蒲池法子」といいます。
 
珍しい苗字が同じとあって、2人はいとこ同士である、

親戚だ、という噂が流れました。
 
「蒲池」という苗字は、福岡県にルーツがあり、

松田さんは福岡県出身、坂井さんの父も福岡県出身なので、

先祖を遡っていけばもしかすると、

同じ「蒲池一族」である可能性は高いですね。
 
先祖が遠い親戚の可能性はありますが、

坂井さんと松田さんがいとこ同士というのは単なる噂のようです。
 
あまりにプライベートが謎に包まれているため、

根も葉もない噂が広がってしまったのでしょう。
 
9曲もの楽曲がミリオンセラーを記録し、

もはや知らない人はいないくらい、

90年代の音楽界を牽引したZARDの坂井さん。

しかし、その人生はとても短命に終わってしまいました。
 
歌手デビューから10年も経たない2000年、

坂井さんは子宮筋腫、卵巣のう腫、

子宮内膜症と次々に病気を患い、闘病の日々が始まりました。
 
そして、2006年には、子宮頸がんと診断され、

39歳で子宮全摘出手術を、受けることになったのです。
 
手術から1年後、順調に回復していると思われましたが、

なんと、がんが肺へ転移。
 
またも、入退院を繰り返す日々となりました。
 
それでも、入院先の慶應義塾大学病院の病室で、

坂井さんは曲を書き続けていたそうです。
 
長い闘病生活の中で、坂井さんはうつ病も患うようになりました。
 
子宮頸がんや乳がんなど、女性特有のがんを患うと、

うつ病を発症する女性は多いと言います。
 
抗うつ剤を服用しながら、がんの闘病生活を送っていた坂井さんでしたが、

2007年5月26日、午前5時40分頃、

入院先の病院内のスロープから、

3メートル下に転落してしまいます。
 
駐車場で仰向けに倒れているところを、通行人に発見され、

集中治療室で緊急処置を受けるも、翌5月27日午後3時10分、

後頭部強打による脳挫傷で急逝したのです。
 
40歳という若さでした。

次に、坂井さんのプライベートについて、見ていきますが、

坂井さんは、生前のメディア出演が少ないため、

プライベートも謎が多く、家族や恋人の情報もほとんどありません。
 
そんな、謎多き坂井さんですが、

彼女の父親は、自動車教習所の教官だということは、

判明しているようです。

一時期は、坂井さんの父親ということで、予約が殺到したんだとか。

ちなみに、この教習所はあの有名な、

元サッカー選手である中田英寿も卒業しているそう。

坂井さんが、病に倒れ、慶應大學医学部附属病院に、

長期入院を余儀なくされていたときのこと。

ほぼ毎日のように、母親が彼女のお見舞いに訪れていたそうです。

このことから考えると、母親は専業主婦か、

パートの可能性が高そうです。

また、葬儀には遺影を持った、年配の女性がいたので、

おそらくその女性が母親だろうと噂されています。

モデルから歌手へと転向し、大成功した坂井さん。

元々、自動車の教官として働いていた父親が建てた、

神奈川県内の一戸建てに住んでいたそう。

しかしその後、歌手として成功したお金で、

坂井さんは、駅近で好立地に建てられた豪邸を、即金で購入。

この豪邸を、購入するやいなや、

母親と坂井さんの兄弟たちは、すぐに引っ越していったそう。

ただ、父親だけはこの豪邸には住まず、

自身が建てた一軒家にとどまったそうです。

一方、3階建てで広いベランダももうけている大豪邸の方には、

母親と兄弟だけではなく、兄弟の配偶者まで住み着いていたそうで、

おそらく、父親はこうした環境に身を置きたくなかったのかもしれません。

娘が、家族のためにと一括購入した大豪邸のせいで、

皮肉にも、家族の間に深い溝を生んでしまいました。

「ZARD坂井泉水」として活動するようになってからは、

熱愛が噂されたことなどはありません。
 
ですが、デビューする前には、

現在出版業界で働く、

神田樹希さんと、交際していたようです。
 
坂井さんが亡くなった半年後に、神田さんは、

「僕だけがまだ生きている、その意味を君が教えてよ」

という追悼本を出版しています。
 
この追悼本がきっかけで、

神田樹希さんと、

過去に交際していたことが公になりました。
 
短大2年の頃、湘南に住んでいたという坂井さんは、

神田さんからナンパされ、2年ほど交際していました。
 
神田さんは当時は、補導歴もあるかなりの不良でしたが、

坂井さんとの交際をきっかけに、喧嘩やタバコなどを一切やめて、

真剣に坂井さんと、交際していたそうです。
 
湘南の海沿いの小さなアパートで、

2人は同棲していたそうで、

坂井さんの楽曲には「海沿いの」「2人で夢見たあの頃」など、

神田さんと過ごした頃を、連想させる歌詞がいくつもあります。

ZARDとしてデビューしてからは、全く恋人の影もなく、

歌うことだけに集中してきた坂井さんは、

若かりし頃の恋心を、歌に乗せていたのでしょうか。
 
これほどの美貌を持ちながら、

ZARDとして活躍している間には、

一度も浮いた話がなかった坂井さんですから、

亡くなった後になって、

出てきた元彼の存在にはファンも驚いたようです。
 
プライベートは全く表に出ていなかったため、

神田さんの追悼本が発表されると、様々な憶測が飛び、

実は2人は結婚していたのでは?という噂もありました。
 
しかし、坂井さんに結婚していた過去はなさそうです。
 
また、もう1人、坂井さんの恋人だったと噂されたのが、

音楽プロデューサーの織田哲郎さん。
 
ZARDの楽曲も多くプロデュースしていて、

週刊誌で2人の不倫について書かれてしまい、騒動になったことがありました。
 
大物プロデューサーと、歌手の恋愛というのは、

よくある話ですが、不倫となると公には出来ません。
  
ただ、こちらも噂の域を出ません。
 
純粋に音楽に対して、向き合っていた坂井さんですから、

仕事場に恋愛を持ち込むとは考えづらいですね。
 
結婚や不倫といった噂に加え、芸能界ならではとも言えますが、

隠し子もいたのではとも言われています。
 
しかし、この情報も単なる噂に過ぎません。
 
プライベートが謎に包まれている分、

噂が噂を呼び、事実とは異なる情報が、

広まってしまったようですね。
 
おそらく坂井さんは生涯独身で、お子さんもおられないと思われます。

さらに、坂井さんの死については、

結果的に、事故死と処理されたようですが、

現在でも坂井さんの死については様々な噂が飛び交っています。

主に、

・がんを悲観しての自殺説

・薬による事故死

が、挙げられています。

死因としては、スロープの手すり部分に、

坂井さんの手の痕が残っており、

散歩で疲れて手すりに、腰を掛けていたところバランスを崩して、

後頭部から転落してしまったのでは、ないかと言われています。

更にスロープの床は、前日の雨で濡れており、

滑りやすかったことも、転落する原因になったと言われています。

そのため、現在では、バランスを崩したことによる、

事故死である、という説が濃厚のようです。

そうだと思われる根拠は、他にもあり、

音楽関係者の話では、坂井泉水さんの遺書も見つからず、

病室が整理されているなどの、自殺の兆候は全く見られなかったそう。

また、ツアーやアルバム制作を予定しているなど、

復帰には意欲的だった様子。

遺書もなく、身辺整理もなく、しかも服を着替えています。

そのため、自殺の線は薄いとされているようです。

また、坂井さんの関係者によると、処方された薬の影響もあったそうで、

関係者の話によると、当時、坂井さんは精神的にも不安定だったため、

抗がん剤だけでなく、いくつもの薬を病院に処方してもらっていたそう。

それで意識がもうろうとしてしまい、

スロープに手を掛けた際、誤って落ちてしまった、

可能性が高いと言われています。

精神を安定させる薬の中には、

眠くなる成分もあるそうなので、事故当時は意識がもうろうとした状態で、

あったのは間違いなさそうです。

そんな意識が朦朧とした状態で、頭を打ってしまった。

そして、その打ち所が悪く、致命傷になってしまったということでしょう。

なんせ転落した場所だけが、わずか30センチ四方くらいの、

金属製の排水溝の蓋があったということですからね。

もう一つの説である、自殺説について、ふれていきます。

自殺の兆候はなかったと、関係者は語っていますが、

当時から自殺したと考える人は、少なくありませんでした。

その理由にひとつとして、「がん」による闘病苦が挙げられます。

「坂井は前年に子宮頸がんが発覚。

一端、手術は成功したものの、

肺への転移が見つかって再入院していた。

そんなこともあって『病状を悲観した上での自殺か』

との情報も飛び交っていた」

との情報があります。

2006年4月に子宮頸がんと診断され、

6月1日に慶応義塾大学病院で、

病巣の摘出手術を受けて7月に退院しました。

しかし、翌2007年4月に肺への転移が見つかり、

抗がん剤による治療を受けていた矢先に、

亡くなってしまったことから闘病を苦にし自殺したという話があります。

抗がん剤による副作用に苦しんでいたことは想像に難しくないですが、

自殺に至ったのはこれまでに苦しんだ病気も大きく影響していたのではないでしょうか?

坂井さんは2000年以降、子宮筋腫、

卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患っていたそうです。

度重なる病気、しかも今度は肺にがんが転移という、

精神的ダメージが多かったのではないでしょうか。

不確かな情報ですが一部では余命宣告をされていたと言われているそうです。

その余命はわずか「2ヶ月」であり、

このことは親族だけに伝えられていたようですが、

坂井さんの年齢的に若いことが、

逆に病気の進行するスピードを早めていたそうです。

体重は30㎏ほどまで痩せてしまったと伝えられており、

日々弱っていく自分に、

悲観的になることは当たり前だと思いますし、

自殺の兆候はなく復帰に、

意欲的に周囲からは見えても当事者でなければ、

本当の苦しみは理解できないのではないでしょうか?

そう考えると自殺の可能性は高いのかもしれません。

坂井さんの最期は突然で、そして謎が多く残る形となりました。

しかしながら、彼女が残した曲は現在も歌い継がれ、

人生をかけて伝えようとしたものが、

多くの人の心を癒しています。
 
最後までご視聴いただき、ありがとうございました。

コメントを残してくれると、嬉しいです。

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それでは、また。

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