【驚愕】城島茂の父親の逮捕歴や離婚間近の真相に驚きを隠せない…『TOKIO』リーダーの裏の顔…女癖や妻との馴れ初めがヤバすぎた!
みなさん、こんにちは
TOKIOのリーダーであり、
株式会社TOKIOの取締役社長でもある
城島茂さんの家族について、今回調査してみました。
城島さんというと、2019年に結婚し、
今では小さなお子さんのパパでもありますが、
今回お伝えするのは城島さんが生まれ育った実家についてです。
なかなか壮絶な生い立ちがあるとのことで、
早速詳しく探っていきましょう。
城島茂さんのプロフィールですが、
愛称はリーダー、老犬、長老などが挙げられます。
生年月日は1970年11月17日
身長:170cm
血液型:O型
入所日:1986年7月7日
メンバーカラー:緑
最終学歴は奈良県立奈良商業高校(現・奈良県立奈良朱雀高校)のようです
城島さんというと、
TOKIOのリーダーとして有名で、
いつもニコニコしていて、穏やかな雰囲気や存在感が人気となっています。
そんな普段の姿からは想像がつきませんが、
実は城島さんが、なかなか壮絶な生い立ちを
経験されております。
特に衝撃的なのが、城島さんの父親についてです。
まず、両親は、城島さんが小学3年生のときに離婚をしていますが、
その原因というのが、父親の手形詐欺による逮捕です。
手形詐欺とは、価値のない手形で金品を騙し取るという、
大変悪質な詐欺行為です。
この逮捕を受けて両親は離婚し、
そこからは城島さんは母子家庭として育ちました。
なお、父親の詐欺による逮捕はこれでは終わらずに、
城島さんがTOKIOとして活躍している時にも
同じように捕まっています。
調べたところによると、計3回の逮捕歴で、
刑務所で服役していたことも
週刊誌によって世間に明るみとなっています。
完全に、城島さんの足を引っ張り続けているということですが、
今はどうなっているのかは定かではありません。
父親の逮捕により、それまでの暮らしが一変してしまった城島さん。
両親の離婚もさることながら、父親の逮捕により、
その土地で暮らすことも難しくなります。
やがて学校も不登校になるなど、環境がますます悪化し、
結局は夜逃げ同然のような形で、
その土地から離れることになりました。
慣れない土地での生活も辛く、またさらには、
母親だけの経済状況ということで、
金銭面でも困窮となり、
かなりの極貧生活を送っていたようです。
食べるものがなく、ときには野菊をおひたしにして食べたこともあったとか、
今の城島さんからは、本当に想像がつかないほどの壮絶っぷりです。
なお、城島さんの母は、19歳で城島さんを出産しています。
大阪、奈良を転々とし、
城島さんがジャニーズに入所したタイミングで、
親子そろって東京に上京をしたそうです。
まるで、映画のようなストーリーですが、
すべて実話ですから驚きです。
でも、家庭崩壊から極貧生活を経験した子供時代があるからこそ、
今のニコニコで穏やかな城島さんに繋がっているのかもしれません。
ちなみに、ジャニーズに入所したのは、
当時の生活を変えるためには、芸能界に入るしかない、
と思ったからだそうです。
その甲斐あって、今では誰もが知る国民的アイドルですから、
人生捨てたもんじゃないということです。
ジャニーズに合格したときのお話で城島さんらしいのが、
ジャニーズ事務所に履歴書を送ったあと、
ジャニーさん本人から電話がかかってきたそうなのですが、
城島茂さんはジャニーさんのことを知らず、
「どちら様?」と答えたそうです。
そこで、とても印象的に思ったジャニーさんは
城島茂さんと食事にいき、
なんとそこで合格となったそうです。さすがですね。
城島さんの父親のその後ですが、
城島茂さんの父親が逮捕されたことを知ったとある悪の組織が
ジャニーズ事務所を脅迫し、
お金やTOKIOの興行権を獲得しようとした事件もあったようです。
そのときは既に城島茂さんの父親は出所していたそうですが、
事務所は事を荒立てたくなかったようで、
その話を受けたなんて噂もあります。
あくまでも噂ですが、こういった噂も出てしまうようですね。
そんな城島さんですが、芸能界に父親的な存在の方がおられました。
それは、DASH村を作っていたとき、
農業など昔の知恵をいろいろ教えてくれていた瓶明雄さん。
よく「あきおさん」とDASH村に出演していましたよね。
DASH村で知り合ってからいろいろ教えてくれて、
汗水流して農作業も一緒にしていたのが明雄さんです。
24時間マラソンが城島茂さんに決まったときも、
明雄さんのためにも走りたいと思ったそうです。
尊敬できる明雄さんの存在が、
城島茂さんにとってはお父さんのような存在に思えたのでしょうね。
明雄さんの笑顔は
とても素敵で優しそうなおじいちゃんという印象もありましたが、
城島茂さんはまた違った思いがあったことでしょう。
DASH村で慕ってきた明雄さんですが、
2014年6月に急性骨髄生白血病で
亡くなってしまいました。84歳だったそうです。
その直前では東日本大震災もあり、
DASH村の撮影ができなくなったことで
明雄さんと会うことも減ってしまっていたとか。
城島茂さんにとってとても辛いことだったのではないでしょうか。
城島茂さんは泣きながら別れの言葉をかけていたと言われています。
DASH村といえば、城島さんの代名詞のような番組ですが、
実は過去に、ロケ中に一般人から注意される一幕がありました。
視聴者は注意された後の光景を見て「確かにこれは危ない」と驚いていました。
城島さんらは企画「初モノ奪取」の一環で、
駿河湾での桜エビ漁に同行していました。
一行は2隻の船から網を海中に仕掛け、
連携しながら網を動かして桜エビの群れを捕まえようとしました。
網を海に落とした直後、城島さんは
漁師たちのサポートをしようと船の縁に寄りました。
しかし漁師の1人が城島さんに向かって「おい!」と叫んだのです。
城島さんはすぐさま「ここまで? こっち?」と引き下がり、
船上で「桜エビ漁」手伝おうとするも…
直後、城島さんがいた側に別の船が寄り、
その船に網の反対側のロープをつないだのです。
2隻の船が距離を縮めると「こんな近くに来るんだね」との声が。
番組の説明によると「近づくと波で船が大きく揺れるため、
うかつに手を出すと船の間に挟まれかねない」というのです。
城島さんは漁師たちが必死に網を整備する様子を見て
「すごいチームワーク…」とつぶやき、
「いや、手伝う(手伝える)レベルじゃない、僕らは…」と漏らしました。
これには視聴者も、漁師が城島さんに注意したことに納得した様子で、
注意されるやその理由をすぐに理解し、
引き下がった城島さんをたたえる視聴者もいました。
そんな城島さんですが、長瀬さんに対しての失言が、話題になったこともあります。
企画「横浜海岸DASH」で、
一行はサバの切り身を棒に突き刺し、
水中に設置した時のことです。
「海のでんでん虫」ことアラムシロを集めると、
肉食貝のアラムシロは砂の中から一気に浮上し、サバに群がり始めたのです。
この様子を見て、城島さんは
「デビューしたときの『ミュージックステーション』
(テレビ朝日系)みたい」と独特な例えを用いました。
桝太一さんが「ど、どういうことですか?」と聞くと、
城島は「ステージがあって
『LOVE YOU ONLY』歌ったとき、
周りをファンの方々が集まってくれて、
みんなでこう、ワーって盛り上がってくれた」と当時を振り返りました。
「アラムシロをファンの方に例えるってしちゃいけないけど」と笑いつつ、
情熱的なファンの姿を思い返した城島さんは、
サバに突き刺さった棒を見て
「あれ、ボーカルスタンドで、長瀬がいて」と例えました。
直後、城島さんは「すごい失礼なこと言ってる…」と一連の発言を後悔。
桝は「そんなことないですよ」と笑って否定したシーンがありました。
なんとも城島さんの可愛らしい一面ですね。
いかがだったでしょうか。
今回は、城島さんの生い立ちや、番組でのハプニングなどを調べてみました。
幼少期はとても苦しい生活を送っていたことが分かりましたね。
離婚はともかく、父親が犯罪者というのは
相当辛いものがあったことでしょう。
そんな過去を乗り越えて一躍人気アイドルとなった城島茂さん。
旦那、父親としてのこれからの城島さんにも注目していきましょう。
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