佐久間良子の母親と実家に驚きを隠せない…元夫・平幹二朗との離婚理由や息子・平岳大の病気の真相に涙が止まらない…
皆さん、こんにちは
東映出身の女優として、長年映画やドラマで活躍してきた
佐久間良子(さくま よしこ)さん。
2016年に元夫の平幹二朗さんが亡くなりましたが、
2021年現在はどのように過ごしているのでしょうか。
今回は佐久間さんの現在の実家についてや
書道の腕前、着物姿が似合うとネットで話題なので
その魅力について調査します。
また、今は再婚しているのか確認しましょう。
まずは、佐久間良子さんのプロフィールです。
本名:佐久間良子
生年月日:1939年2月24日
身長:158cm
出身地:東京都練馬区
最終学歴:川村高等学校
所属事務所:ORPHe
です。
佐久間さんの夫は
2016年に亡くなった名優・平幹二朗さんでした。
息子の岳大さんは両親と同じく俳優の道に進み、
大河ドラマ『篤姫』や『真田丸』など、時代劇に多く出演。
サスペンスもののドラマや映画にも出演しており、
順調に役柄の幅を広げている俳優です。
2020年にはネットフリックスのドラマ
『Giri/Haji(ぎり はじ)』で主演を務め、アジア人ながら
英国アカデミー賞にノミネートしました。
岳大さんは名門校である暁星高等学校在学中に、
単身渡米した経験があります。
自身曰く、「芸能人の両親が嫌」という理由から、
新天地を求めてアメリカへ渡ったそうです。
「有名人の息子」というレッテルを貼られるのが苦しく、
日本を逃れ、何者でもない状態から何かを始めたかったのでしょう。
こうしてアメリカのモーゼス・ブラウン・スクールを卒業し、
難関校であるブラウン大学理学部応用数学科へ進学。
当初は医者を目指していました。
卒業後はコロンビア大学大学院修士課程へ進学しますが、
医学の道は大変だったのか中退。
その後は投資系の会社に就職したそうです。
しかし「クリエイティブなことをしたい」という志を抱き始め、
ウェブ系の会社を立ち上げました。
それでも満たされなかった岳大さん。
「やはりなりたかったのは役者だ」と気づき、
帰国して両親に思いを伝えました。
佐久間さんは「絶対にだめ」と反対したものの、
幹二朗さんは承諾してくれたそうです。
息子が自分と同じ道に進んでくれることが、
内心嬉しかったのかもしれません。
こうして2002年、舞台『鹿鳴館』でデビュー。
親子3人で共演を果たしました。
佐久間さんは母として、息子が厳しい芸能界に進むことを
ギリギリまで反対していました。
共演が決まってからも、「岳大が出るなら降りる」とまで発言。
本番中も息子と目を合わせようとしませんでした。
しかし公演をやり遂げた息子に対して、「もう何も言わない」と決意。
あとは自分の努力で道を切り拓いていけるか、
彼の役者人生を見守っていくことにしたのです。
岳大さんは順調に俳優として活動しつつ、2016年に一般女性と結婚。
娘も誕生して、幸せに暮らしているようですね。
紆余曲折あっても、やはり俳優一族の血は争えなかったのでしょう。
佐久間さんには岳大さんの他に、朋子さんという娘がいます。
子供たちは二卵性双生児、いわゆる双子でした。
岳大さんが兄、朋子さんが妹です。
兄妹は「一卵性」の双子ではなく、「二卵性」ということで顔は似ていません。
朋子さんは一般人のため、詳細な経歴が不明ですが、
兄に影響されアメリカ留学を果たしたそうです。
また青山学院大学を卒業し、
キャリアウーマンとして働いているという情報がありました。
さらに佐久間さんが趣味で続けてきた書道の展覧会を開く際は、
積極的に協力してきたとのこと。
俳優の道には進まなかったものの、
すべてにおいて優秀な女性として、活躍していることは確かでしょう。
夫、平幹二朗との離婚についても調査していきます。
佐久間さんの夫は、これまで見てきた通り、平幹二朗さんでした。
2人は1968年、ドラマ『お吟さま』での共演を機に、交際を始めます。
そして1970年、霊南坂教会で挙式しました。
4年後に双子をもうけますが、お互いに多忙だったためか別居を始めます。
すれ違いが生じた頃、子供たちは敏感に両親の不和を察知していたそうです。
岳大さんは、神経症の一種であるチック症を発症。
チック症は首を振る、舌を出すなど、
落ち着きのない行動をとることが特徴の病気です。
朋子さんも、異常なほど明るく振る舞い始めていたそうで、
両親の不和に落ち着きを失っていたようです。
子供たちのためを思い、夫婦は1984年に離婚。
夫婦が共に一流の俳優として活躍し続けながら、
家庭でも幸福になるのは、やはり難しかったのでしょう。
しかし佐久間さんは、息子が成人後、
幹二朗さんと3人で舞台共演を果たすなど
交流は続けていました。
夫ではなく、あくまで役者仲間として、
彼のことを尊敬し続けていたのかもしれません。
偉大な両親のDNAを継いだ岳大さんは、ベテラン俳優として、
父並みの貫録を備えていくことでしょう。
佐久間さんが平さんと離婚したのは、1984年。
2022年で28年経ちますが、再婚はしていないようです。
息子の平岳大さんと、娘の朋子さんという双子に恵まれていますから、
決して孤独ではないのでしょう。
ただ1人で暮らしているとすれば、
やや寂しさを感じる時はあるかもしれません。
しかしたら、身の回りの世話をしてくれる人と
一緒に過ごしている可能性もありそうですね。
往年の名女優として知られる佐久間さん。
しかし生きている限りは、周囲の協力も得ながら、
女優業を続けようと考えているのでしょう。
そんな、佐久間良子さんの現在についても調査しました。
佐久間さんは近年、ほとんど女優活動していない印象があります。
かつては、大河ドラマ『おんな太閤記』で
主演を務めるほど活躍していました。
しかし、最近はほとんど姿を見かけないので、
引退したと考えられても不思議ではないですね。
ただ佐久間さんは女優業を引退したわけではなく、
近年も時おり仕事をしているようです。
2016年に元夫の平さんの告別式に参列し、
2年後には「徹子の部屋」に出演。
亡き夫と、息子で俳優の平岳大さんについて語っています。
亡夫について語る佐久間さんの様子からは、
夫婦関係は冷え切っていたものの、
俳優として彼を尊敬していたことがうかがえました。
今では彼に思いを馳せながら、静かに暮らしているのかもしれません。
2019年にはネットフリックス製作の映画
『アースクエイクバード』に出演しています。
日本が舞台のサスペンスで、
総製作を担当したのは巨匠リドリー・スコットでした。
番はわずかでしたが、名女優の姿に驚いた人もいるようです。
2020年以降はコロナが流行したためか、
活動していない様子の佐久間さん。
ご高齢とはいえ、状況が落ち着いたら、
体調に無理のない範囲で活動再開を計画しているのかもしれませんね。
そんな、佐久間さんの実家について気になる人が多いようです。
東京都練馬区桜台にある、500坪ほどの豪邸に住んでいたそうです。
父は大地主の次男で、戦時中は軍医でした。
戦後は製薬会社で役員を務めているため、
かなりの高収入を稼いでいたはず。
母は理科室にある人体模型を開発した製作所の令嬢でした。
佐久間さんは高い塀に囲まれた家で、
ほとんど外出せず、「箱入り娘」として育っています。
彼女の気品に満ちた雰囲気からすると、
納得の生い立ちですね。
良家のお嬢様ですから、女優になる際は両親から反対されたようです。
しかし「1年だけ」という条件で女優活動を許可してもらったとのこと。
佐久間さんはさまざまな教養を身につけてきたようです。
中でも書道の腕前はプロ並みで、1977年には日展へ入選を果たしています。
さらに毎日書道展で入選し、個展も開催。
プロの書家でさえ入選困難な日展と毎日書道展に入選するとは、
まさに「玄人はだし」の腕前です。
2003年の映画『実録ヒットマン 北海の虎・望郷』では、
題字を手掛けています。
幼少期は「箱入り娘」だったためか、外で遊ぶより、
家の中で字を書く方が好きだったそうです。
やがて独学で書道を学び始め、
難関の展覧会に入選するレベルまで上達しました。
「好きこそものの上手なれ」という言葉通りの趣味といえますね。
上品なイメージのある佐久間さんの着物姿が綺麗と
話題になっています。
映画『細雪』では、あでやかな着物姿を見せてくれました。
農民出身のねねを演じた際は、他の作品では見せないような、
やや下品な笑い声をあげるシーンもありました。
それでも決して見苦しくなかった理由は、
生まれつき備わった気品が、
着物という装束に調和していたためでしょう。
現代の若手女優に比べ、
着物の着こなしが様になっている印象が強い佐久間さん。
お嬢様育ちだからこそ、幼い頃から着物をまとう機会が多く、
和服に自然と調和する気品を磨いていたのかもしれませんね。
上品さを活かして長い期間で活躍して欲しいですね。
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