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八千草薫の晩年残した遺書の内容…遺産相続に驚きを隠せない…宝塚から活躍した名女優の”山口百恵”との確執の真相が衝撃的すぎた…

八千草薫の晩年残した遺書の内容…遺産相続に驚きを隠せない…宝塚から活躍した名女優の”山口百恵”との確執の真相が衝撃的すぎた…

みなさん、こんにちは。

年齢を重ねても錆びない容姿と

気品あふれる存在感で、

幅広い年齢層のファンに愛された

八千草薫(やちぐさかおる)さん。

可憐な娘役として

一世を風靡した若い頃の宝塚時代から、

「かわいいおばあちゃん」として

親しまれた晩年の魅力に迫ります。

愛用していた着物が形見分けとして

後輩の女優に贈られたといわれていますが、

その女優とは誰なのでしょう。

また、山口百恵さんとの

確執の噂の発端となった

ドラマ降板劇についてもまとめました。

さらに、八千草さんの住まい、

遺産がどうなったか確認します。

まずは八千草薫さんのプロフィールについて

調べてみました。

愛称:ヒトミちゃん

本名:谷口瞳

生年月日:1931年1月6日

死没:2019年10月24日

身長:154cm

出身地:大阪府

最終学歴:聖泉高等女学校

(現在のプール学院中学校・高等学校)、

宝塚音楽学校

最終所属事務所:柊企画

2019年10月24日、

すい臓がんのため88歳で

帰らぬ人となった八千草薫さん。

彼女の芸能人生の出発点は

戦後の宝塚歌劇の舞台でした。

幼くして父を亡くし、

戦時中に多感な時期を過ごした経験から、

夢のある華やかな世界に

憧れていたそうです。

終戦後、宝塚音楽学校の

生徒募集の記事を新聞で目にした八千草さん。

「宝塚」「音楽」といった言葉に、

きらきらした輝きを感じたと振り返っています。

1947年の入団当初は

『分福茶釜』のタヌキなど

コミカルな役が中心でした。

宝塚に新た設立された

映画専科に編入した八千草さんは、

劇団に籍をおきながら

外部の東宝映画などにも出演。

三船敏郎さん主演の

『宮本武蔵』でお通役を演じて

映画女優としても注目を集めます。

「お嫁さんにしたい有名人」では、

たびたび1位に輝きました。

谷口千吉監督との結婚を決めて、

惜しまれながら退団したのは1957年。

宝塚歌劇団は、

八千草薫さんの訃報を受けて、

宝塚の娘役を体現したような

可憐さと上品さとをあわせ持つ

稀有な女優だったとコメントを発表しました。

若い頃の娘役から、

お母さん役、おばあちゃん役と

役柄が変化した八千草薫さん。

生涯を通して変わらなかったのが

「かわいさ」や「上品さ」でした。

芸能界には初々しさのない女優が

たくさんいるけれど、

彼女は何度共演しても初々しいと絶賛しました。

一般的には、

人間は歳をとるにつれて

かわいさや初々しさを

失っていくものですから、

「かわいいおばあちゃん」

のイメージが定着した八千草さんは

稀有な女優であったことがわかります。

八千草薫さんは

着物姿が映える女優でもありました。

じつは身長は公称154cm、

背はけっして高くないのですが、

小柄な印象はありませんでした。

その存在感は、

女優としての矜持が

醸し出すものだったのかもしれません。

遺作となった『やすらぎの刻〜道』では、

摂子役とともに晩年のしの役を

演じる予定でしたが、

療養のためにしの役は降板。

その後、若き日のしのを演じた

清野菜名さんに天国の八千草さんから

形見の着物が贈られたことが報じられました。

クランクアップを迎えた日、

万感の思いにひたる清野さんを

待っていたサプライズ。

約40年にわたって

八千草さんのマネージャーを務めた

原田純一さんが遺品の中から選んだ贈り物でした。

それは白地に赤や紫の絣模様が入った

可憐な着物で、

八千草さんはこの着物を着て、

よく時代劇や舞台の稽古に励んでいたそうです。

大先輩の形見を贈られた清野菜名さん。

女優として何よりもうれしいエールに

なったのではないでしょうか。

おっとりした上品な役どころが

多かった八千草薫さん。

役柄のイメージそのままの人柄を偲ぶ

追悼コメントも多かったですね。

しかしその反面、

女優という仕事に対するプライドの高さ、

芯の強さがうかがえるエピソードも残っています。

ドラマ『赤い疑惑』降板劇もそのひとつ。

同ドラマで山口百恵さんの

母親役を演じていた八千草さんが、

第6話で途中降板したのです。

降板理由として報じられたのは

百恵さんの過密スケジュールに対する不満でした。

当時、百恵さんはデビュー2年目の16歳。

すでにトップアイドルの

仲間入りを果たしており、

文字通り分刻みのスケジュール。

『赤い疑惑』の撮影は

彼女のスケジュールに左右され、

早朝や深夜に行うことも

めずらしくなかったといいます。

さらに、撮影時間が確保できない

百恵さんの代わりに「影武者」が用意され、

共演者たちは、「影武者」の背中を相手に

演技を強いられることもしばしば。

八千草さんは、

こうした百恵さん優先の撮影手法に

苦言を呈して降りたといわれています。

百恵さん自身が組んだ

スケジュールではないとはいえ、

八千草さんのプライドを

傷つける状況であったことは

想像にかたくありません。

八千草さんが16歳のアイドルを

表立って批判することはなく、

百恵さんもまた、

その時点でコメントを出すことは

ありませんでした。

ところが引退間近に発表した

自叙伝『蒼い時』には八千草さんらしき

ベテラン女優の記述が。

百恵さんは、

自分のせいで撮影に支障が生じた件について

心苦しく感じていたものの、

芸能界にいる以上、

やむをえないことと記しています。

文中のベテラン女優が

八千草さんをさすとすれば、

降板劇はよほど百恵さんの心に

引っかかっていた出来事だったのでしょう。

八千草さんの行動は、

大手プロダクションの売れっ子アイドルを

敵に回しても女優の矜持を貫いたい

という見方が多いですが、

冷静にながめると、

メイン出演者の途中降板という

お騒がせな決断であったのも事実。

おそらく撮影現場は

さらなる混乱を招いたことでしょう。

それでも干されることはなかった八千草薫さん。

2年後には、

同じTBSの『岸辺のアルバム』で不倫妻を演じ、

同作品をドラマ史に残る名作に押し上げました。

あらためて日本の芸能界に

欠かすことのできない名女優だったと

思わずにはいられません。

続いて、八千草さんの住まい、遺産についてです。

八千草さんは東京都世田谷区に、

映画監督だった夫の谷口千吉さんと共に

暮らしていました。

1957年に結婚した2人は、

谷口さんが2007年に亡くなるまで、

当初から世田谷区に暮らしていたそうです。

自宅の資産は、

土地代だけで3億円に上ったとされています。

最愛の夫と2人で過ごした自宅を、

八千草さんは非常に気に入っていたそうです。

遺言書には、

「自分の死後も自宅を残して欲しい」

としたためられていました。

しかし一周忌前の2020年10月、

自宅は解体されてしまったのです。

背景には相続税の影響がありました。

次の項目で、

八千草さんの邸宅が

解体された理由を見ていきましょう。

子供がいなかった八千草さんは遺産を、

お世話になった3人の知人へ

譲ることにしていました。

八千草さんと谷口さんの、

それぞれの遠縁の人と、

八千草さんの所属事務所社長の合計3人です。

彼女は自宅を壊さず、個人へ売却し、

生じたお金を相続税にあてる予定でした。

しかし2020年、

新型コロナウイルス感染症の流行により、

豪邸を買おうとする個人は激減します。

八千草さんの遺産担当者は、

やむなく個人への売却を諦め、

不動産業者へ売却。

次は業者が一般の人へ

売ることになりました。

ただ都心では、

豪華すぎる物件は取り壊し、

更地にしてから土地を分割して販売します。

こうして八千草さんの豪邸は

解体されてしまったのです。

残念な結果ではありますが、

お陰で相続は無事に済んだようでした。

売却で生じた遺産を、

3人の相続人が分割して受け取ったのです。

また遺品についても、

しかるべき相手が譲り受けたといいます。

八千草さんが望んだ結果ではなかったものの、

無事に遺産が相続人の

手に渡ったのは何よりですね。

いかがだったでしょうか。

最後までご視聴いただき、ありがとうございまいした。

コメントを残してくれると、嬉しいです。

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それでは、また。
芸能LAB編集部