宮田和弥の妻の正体や子供の現在に驚きを隠せない…『JUN SKY WALKER(S)』ボーカルにミスチル・桜井和寿が贈った曲に一同驚愕…!
みなさん、こんにちは。
今回は、80〜90年代に人気を博したバンド
「JUN SKY WALKER(S)」のボーカル・宮田和弥さん。
1988年に「JUN SKY WALKER(S)」としてミニアルバム
「全部このままで」でメジャーデビューし、
1989年のアルバム「歩いていこう」のヒットにより
日本武道館公演を行うほどの人気バンドになりました。
宮田和弥さんの所属する「JUN SKY WALKER(S)」
結成当時は4人組でしたが現在は3人組のロックバンドです。
1988年にメジャーデビューを果たすと、
翌年にリリースしたアルバム「歩いていこう」が
オリコンチャート3位を獲得しました。
1990年に発売したシングル「白いクリスマス」が
シングルオリコンチャート1位を獲得、
さらにアルバム「START」が
初のアルバムオリコンチャート1位を
獲得するなど勢いに乗っていましたが、
1993年に行われた毎年恒例の春の
日比谷野外音楽堂でのライブで
1年間ライブ休業を発表しました。
1997年には解散を発表しメンバーは
各々ソロで活動をされていましたが、
小林さんの呼びかけで寺岡さん、森さん、宮田さんが集まると
話が盛り上がり再結成することになり、
解散以来10年ぶりに再結成することを
2007年9月2日に発表しました。
再結成後は、12年ぶりのシングル
「青春」をリリースしたりサマーソニック、
ライジングサンなどのフェスに参戦、
また日比谷野外大音楽堂などでもライブを行い
2008年12月にジュンスカ再結成の活動を終えました。
しかし、2011年に起こった東北地方太平洋沖地震を受けて、
チャリティライブを開催するため、
活動再開することを発表しさらに
12月には完全復活を発表しました。
現在も解散せずに活動を続けていますが、
2021年1月27日ベースの寺岡呼人さんが
卒業を発表をされています。
そんな大人気バンドのボーカルである
宮田和弥さんはなぜ音楽の道に進んだのか、
また、誰と結婚しているのか気になりますよね。
今回は、宮田和弥さんの音楽の道への生い立ちや
趣味、プライベートなどについて調べてみました!
まずは、簡単なプロフィールから見てみましょう。
名前:宮田和弥(みやた かずや)
職業:ミュージシャン、ボーカリスト
誕生日:1966年2月1日
出身地:東京都世田谷区
身長:165cm
血液型:B型
なぜ音楽の道に進んだのかについてですが、
バンド活動をしていた1つ上の先輩に憧れて
中学2年生の時に歌いたいと思い、
友人であった小林雅之さんの紹介で、森純太さんと出会います。
その後、オーディションを受け森純太さんが
非常に気に入りジュンスカのメンバーになったそうです。
SKY WALKER(S)といば、全盛期100組ほど
バンドがいたと言われるホコ天でずば抜けた人気がありました。
その時のことを宮田さんは
「洗濯機の中に投げ込まれたスーパーボールみたい」
だったと語っています。
渋谷公会堂で初ライブをしたときは、
宮田さんは2万円の家賃のアパートに住んでいたようです。
しかしラジオで「○○って車が欲しいな」と言うと
あげますという人がいたり、
街で人だかりができたときには、
警察に誘導してもらうこともあったことから
「俺を中心に地球は回ってる!」みたいな気持ちになっていたようです。
宮田さんはそんな若い頃の自分を思い返し
「今の僕がそのころの自分に会ったら正座させて説教だ!」
と思っているんだとか。
また、結婚についてなのですが、
宮田さんは結婚しており、子供もいます。
子供が1995年生まれなので、
「JUN SKY WALKER(S)」として活動している
真っ最中に結婚し父親となりました。
宮田さんの結婚に際し、
Mr.Childrenの桜井和寿さんがお祝いに曲を贈っています。
宮田さんと桜井和寿さんはデビュー当時から親交があり、
名曲「抱きしめたい」は宮田さんの結婚を祝って作られた曲なんだとか。
JUN SKY WALKER(S)とMr.Childrenはデビュー当時、
所属事務所とレコード会社が一緒で、
ジュンスカのオープニングアクトをミスチルが務めたこともありました。
かねてより親交を深めてきたミスチル・桜井和寿さんは、
宮田さんの結婚披露宴で「抱きしめたい」を演奏する予定でしたが、
披露宴の時間が押して結局演奏できなかったという
勿体なさすぎるエピソードも残されています。
また、宮田さんが同世代のミュージシャンらと
対談したインタビューで、“結婚すると太る”という話題になった際、
対談相手の「食事は要る日だけ電話する」という発言に対し、
「そうそう!絶対そのほうが建設的!」と発言しています。
さらに「カミさんの作るご飯って、
その人の気持ちでもあるじゃないですか」と切り出し、
「それをないがしろにすると、家庭崩壊に繋がる」
と発言するなど、嫁思いの一面が窺えました。
そんな宮田さんの嫁は、元アイドル歌手の勇直子さんです。
名前:勇 直子(いさむ なおこ)
誕生日:1968年12月7日
出身地:神奈川県逗子市
血液型:O型
身長:161cm
神奈川県立高校在学中の1985年、
バレエのレッスンの帰りに原宿駅の券売機前で
芸能プロダクション『K-HOUSE』のスタッフに
スカウトされ、芸能界入り。
翌1986年、『夏・体験物語2』(TBS)でドラマデビュー。
同時期『センターラインが終わるとき』で
RVC(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)より
歌手としてもデビューし、
非タイアップ曲ながら『歌のトップテン』(日本テレビ)に出演した他、
各種新人賞レースにも4、5番手でノミネートされた。
当時、作家の秋元康さんが彼女の才能に惚れこみ
「本田美奈子を超える、新時代アイドル歌手になる」と語っていて、
本人はオリコン社長との対談にて
「アイドルでもアーティストでもないニュータイプになりたい」と述べていた。
「山下久美子が目標」と話していたこともある。
宮田さんとの結婚後しばらくは結婚生活、
出産や子育てに専念していましたが、
2002年に芸能事務所「orega」と契約して芸能界に復帰。
現在もCM「JA共済 三谷家シリーズ」に出演するなど、
女優として活動しています。
宮田さんは基本的にプライベートを明かすことが少ないですが、
ラジオでは嫁との結婚生活や子供について語っています。
宮田さんは1995年に子供が誕生しました。
2015年のラジオでは息子が20歳になると言い、
その息子がデザインの勉強のため
イギリス・ロンドンに留学していることを明かしました。
宮田さんの息子はジョン・レノンと同じ誕生日で、
父親の影響もあって、幼少期から
ビートルズを刷り込みのように聴いて育ちました。
そのため大のビートルズ好きに育ち、
イギリスに渡ったことがわかっています。
また、宮田さんは子供と漫画の貸し借りをすることもあるのだとか。
面白い漫画を息子に聞いて、週刊少年ジャンプで連載された
「暗殺教室」を読むなど、
子供と同じ目線に立って接することができる、
良き父親像を体現しています。
今後も宮田さんの活躍する姿に注目ですね。
最後まで動画をご視聴いただき、
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それでは、また。