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森光子の遺産を受け取った男性の正体に一同驚愕…『放浪記』で主演で活躍した名女優の自らを「結婚の落第生」と呼ぶ衝撃の結婚歴や離婚理由に驚きを隠せない…

森光子の遺産を受け取った男性の正体に一同驚愕…『放浪記』で主演で活躍した名女優の自らを「結婚の落第生」と呼ぶ衝撃の結婚歴や離婚理由に驚きを隠せない…

みなさん、こんにちは。

歌手、喜劇女優を経て、

舞台『放浪記』の主演女優として

長年活躍した森光子(もり みつこ)さん。

女優業の傍ら、こよなくジャニーズを愛し、

所属アイドルたちの面倒を見たことでも知られています。

とくに少年隊の東山紀之さんとの関係は、特別だったようです。

また、庶民的な日本のお母さんという

イメージが定着していましたが、

私生活では結婚した夫や子供はいたのでしょうか。

そして、森さんと東山さんの関係、

遺産と養子縁組の噂にも迫っていきたいと思います。

本名:村上美津

生年月日:1920年5月9日

死没:2012年11月10日

身長:153cm

出身地:京都府京都市

80年近い芸能生活で、舞台、ドラマ、ワイドショーの司会、

バラエティ番組と幅広く活躍した森光子さん。

ライフワークの『放浪記』では

2017回公演という金字塔を打ち立て、

女優の国民栄誉賞第一号になりました。

1961年初演の『放浪記』は、

それまで脇役ばかりだった不遇な彼女が

41歳でようやく手にした念願の主演。

この時から、森光子さんは芸道を邁進することになります。

その一方で、婚外子として育ち、
13歳で両親を亡くした生い立ちから、

家庭に強い憧れを抱いていたともいわれる森光子さん。

生涯で二度の結婚をしていますが、

いずれも離婚という形で終止符を打つことになりました。

最初の結婚は、戦後まもない1947年のこと。

当時は女優活動と並行して進駐軍キャンプで歌うなど、

がむしゃらに働く毎日でした。

そんな森さんに、

日系2世の軍属であるリチャード・ウエムラさんがプロポーズ。

森さんの話によると、

神戸のアメリカ領事館で

書類にサインをして正式に結婚したとのこと。

夫が1週間後にハワイに帰ることはすでに決まっていたものの、

芸能界を離れたくなかった森さんは

日本にとどまることを決意します。

ところがハワイの夫はそれきり音沙汰がなくなり、

結婚生活は破綻。

のちに最初の結婚を振り返り、

愛情というよりは、

アメリカ製ストッキングや缶詰といったプレゼントに

惹かれて結婚したと明かした森光子さん。

リチャードさんに対する心苦しさは

生涯消えることがなかったようです。

二番目の夫はテレビ演出家の

岡本愛彦(おかもとよしひこ)さんでした。

結婚の2年後に『放浪記』がはじまると、

森さんは林芙美子役にのめり込み、

多忙をきわめるようになります。

愛彦さんは妻を思うがゆえに仕事を減らすよう忠告しますが、

これを受け入れることができず、3年半で再び破局。

自らを「結婚の落第生」と呼び、

女優一筋で生きていこうと誓ったわけは、

愛彦さんとの離婚にありました。

結婚も子供もあきらめて仕事を選んだ森光子さんさんですが、

子供にだけは未練があったようで、

子供はほしかったと明言したことがあります。

2010年2月26日、2か月間の舞台は困難との主治医の判断で、

『放浪記』の公演中止を発表した森光子さん。

以降、舞台は事実上の活動休止状態になり、

ついに復帰することはありませんでした。

最後の舞台は錦織一清さん、

滝沢秀明さんと共演した同年2月6日の『新春 人生革命』です。

最後のドラマは2008年の『渡る世間は鬼ばかり』の秋スペシャル。

公式に出した最後のコメントは、

2012年7月9日の山田五十鈴さんの

訃報に際しての追悼コメントでした。

森光子さんは2012年11月10日、

肺炎による心不全のために92歳で死去。

発表されたのは密葬もすんだ3日後で、

その直前には復帰間近と報じられていたことから、

メディアも病状をつかめていなかったことがわかります。

没後に明かされた詳細によると、

森さんは2010年の秋以降は体調を崩して

順天堂大学病院へ入退院を繰り返すようになったとのこと。

やがて点滴による栄養補給が欠かせなくなり、

誤嚥性肺炎で発熱したり、胃ろう造設手術を受けたりと、

病状は悪化していったようです。

ご本人は「もう一度『放浪記』を演りたい」と言い、

常に台本を手元に置いていたのだそうです。

体調が急変したのは2012年11月10日で、

マネージャーと付き人が見守る中、

眠るように旅立ったといいます。

奇しくも3年前の同じ日に森繁久彌さんが、

2年後の同じ日に高倉健さんがこの世を去っています。

そして、12月7日に青山葬儀場で営まれた本葬には、

約1000人の著名人と約1300人の一般献花者が参列。

斎場には故人の軌跡を振り返る何枚ものパネルが展示され、

黙とうのあとに17分間の映像が紹介されました。

友人代表の黒柳徹子さん、王貞治さん、

ジャニーズ事務所代表として近藤真彦さんら6人が弔辞を読み、

浅丘ルリ子さんが弔電を拝読。

祭壇の遺影は『徹子の部屋』出演時のスナップで、

トーク中にみせた柔らかな微笑みが写しだされたものだそうです。

文化勲章親授与式、国民栄誉賞授与式の際に

着用した着物も飾られていました。

『放浪記』で長年共演した奈良岡朋子さんは

舞台のため参列がかなわず、

録音したメッセージで森光子さんの人柄を明かしています。

芸能界のお母さんとして幅広い交友関係があった森光子さん。

なかでもジャニーズ勢との深い交流は有名です。

滝沢秀明さんや堂本光一さんらジャニーズ関連の舞台には

積極的に足を運び、

稽古中はスタッフの分も含めた差し入れをするなど、

陰に陽にサポートをしていました。

かたやジャニーズの面々も

森さんの節目の公演や誕生日には駆けつけて祝福。

また森さんは生前、

少年隊の東山紀之さんと親密な関係にありました。

何事にも好奇心が強く、

気になるとすぐ行動に移していた森さん。

好きな歌手のライブに足を運ぶ、アクティブな女性でした。

とくにジャニーズ事務所の所属アイドルとは、

実際に交流を深め、バラエティ番組で度々共演しています。

「絶叫マシーンに乗りたい」と希望し、

TOKIOの長瀬智也さんと一緒に

ジェットコースターを楽しんだこともありました。

ジャニーズアイドルの中でも、

とくに親交が深かったのが、東山さんでした。

森さんは彼の歌とダンスを絶賛していたそうです。

実際に交流が始まったのは、

1986年の紅白歌合戦がきっかけだそうです。

東山さんの方から、「ファンです」と言葉をかけ、

プライベートでも交流が始まります。

意気投合し、親密な関係に至った2人。

とりわけ「若旦那」と呼んでいた

東山紀之さんとの公私にわたる交流は、

交際疑惑も浮上したほどでした。

芸能界では、東山さんは

「森光子の手を握れる唯一の男」と呼ばれていたそうです。

男運に恵まれなかったぶん、

東山さんに抱くプラトニックな恋心に

幸せを感じていたのかもしれません。

子供をもつことがかなわなかったにもかかわらず、

「お母さん」として親しまれた森光子さん。

これほど多くの芸能人に慕われたのは、

周囲へ注ぎ続けた愛情の賜物だったのでしょう。

また森さんが亡くなった際、

東山さんが遺産を受け取るという噂が流れました。

親密な関係にあったからといって、

赤の他人に対して遺産を与えるのはやや違和感がありますね。

やはり交際していたのかと疑ってしまいます。

調べたところ、2人は養子縁組していたという情報がありました。

この情報が正しければ、

正式に遺産を東山さんへ譲るつもりでいたことは、

間違いないはずですね。

しかし養子縁組の情報はデマだったようです。

さらに東山さんへ遺産を譲ろうとしていた件についても、

デマだった可能性が高いことがわかりました。

実は森さんの遺産は、推定よりも少なかったようなのです。

晩年に入退院をくり返し、

年間数百万円の医療費がかかっていたとのこと。

活動停止で収入が途絶える中、

個室、ヘルパー代がかさみ、貯金を取り崩していたといいます。

さらに不動産を売却しても、

大した価値にはならなかったようです。

莫大な億単位の遺産があると噂されていましたが、

実際に残った額は

せいぜい数千万から数億円程度だったのかもしれません。

そのため東山さんどころか、

事務所の社長だった甥に譲るお金も、

ほとんどなかったのでしょう。

したがって東山さんが森さんと養子縁組し、

遺産をもらう予定だったという噂はデマです。

ただ森さんほどの大女優が、

いくら医療費がかさんだからといって、

経済的に苦しかったことには違和感があります。

事務所の運営や税金対策に問題があったのかもしれませんね。

そんな、森さんにはお子さんはいたのでしょうか。

しかし、森さんは家庭より女優業を優先したため、

子供を作りませんでした。

2度の結婚はいずれも不幸な結果に終わっています。

初婚は米軍属リチャード・ウエムラとの結婚でしたが、

わずか1週間で彼がハワイへ帰国したそうです。

2度目はプロデューサー、演出家の岡本愛彦さんとの結婚。

しかし「仕事を断らない」ことにこだわっていた森さんと、

「仕事を半分に減らせ」と迫る岡本さんは衝突。

結局、「良き妻、良き母」になるよりも、

女優として大成することを選んだのです。

そのため森さんは天涯孤独の境遇でした。

遺産を継ぐ息子はいなかったため、

最後はお金にあまり執着せず、

お世話になった人へのお礼に使っていたのかもしれません。

結果、最後に残った金額はわずかだったのでしょう。

いかがでしたでしょうか。

今回は森光子さんについてまとめてみました。

仕事熱心だった森さんですが

私生活では孤独にさいなまれていた分、

血のつながりがない東山さんを、

家族同然に愛していたのかもしれませんね。

最後までご視聴ありがとうございました。

コメントを残してくれると嬉しいです。

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それでは、また。
芸能LAB編集部

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