水前寺清子の”熟年離婚”の真相に震えが止まらない…『三百六十五歩のマーチ』が人気の演歌歌手を突然襲った病魔の正体に一同驚愕…
みなさん、こんにちは。
演歌歌手・水前寺清子(すいぜんじ きよこ)さんが、
夫・小松明(こまつ あきら)さんと熟年離婚していたことが分かり
話題になったのは記憶に新しいですね。
水前寺清子さんといえば、
『三百六十五歩のマーチ』などの代表曲をもち、
男性的な着流し姿をトレードマークに
人生の応援歌を歌い上げる演歌歌手として知られています。
民放ドラマ最高の視聴率を獲得した『ありがとう』の主演女優であり、
『ワイド!スクランブル』の初代司会者でもあるという、
演歌歌手にしては異色の経歴の持ち主です。
かつては病気の噂や死亡説が浮上したようですが、
現在はどのような活動をしているのでしょうか。
また、長年連れ添った夫婦はなぜ離婚してしていまったのでしょうか。
今回は、演歌歌手・水前寺清子さんについて
生い立ちや経歴、
結婚と熟年離婚
現在の状況について紹介していきたいと思います。
はじめに、生い立ちと経歴を紹介しましょう。
水前寺清子、本名・林田民子さんは、
戦後間もない1945年10月、熊本県熊本市に生まれます。
父親は熊本市内で化粧品・洋品店を経営しており、
家政婦を何人も雇うほど裕福な環境でした。
歌が得意でのど自慢やコンテストに出場していた民子さん。
そんな民子さんをみた父親は、「娘を歌手にしてやりたい」と思い、
日本舞踊やバイオリンなどの習い事をさせていました。
しかし、1957年の冬。
過大投資がたたり、父親の事業は破綻。
一家は夜逃げ同然に上京します。
東京では、八畳一間の部屋で暮らしました。
父親は精肉店で働き、母親は内職をしながら家計を支えました。
そんな苦しい生活の中でも、
父親は民子さんを歌手にするという夢を諦めませんでした。
民子さんもその期待に応えようと、
洗足学園中学校に通うかたわら夜間音楽学院に通い、
努力を続けました。
その努力の甲斐もあって、
1961年、第12回コロムビア全国歌謡コンクールで第2位に。
作詞家の星野哲郎さんからのスカウトを受けて
コロムビアレコード研究生として4年間のレッスンの末、
1964年、東京オリンピックの年に
『涙を抱いた渡り鳥』でクラウンレコードよりメジャーデビューを果たします。
1965年にはゴールデンアロー新人賞を受賞。
以後22回連続出場することになる、NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。
1968年には『三百六十五歩のマーチ』が100万枚の大ヒット。
翌年1969年には選抜高校野球の入場行進曲に採用され、
同じ年の日本レコード大賞で大衆賞を受賞します。
その後、視聴率56%を記録した大ヒットドラマ『ありがとう』への出演や
歌手活動、司会業など、
半世紀にわたり活動を続けています。
最近では、ももいろクローバーZがホストを務める『ももいろ歌合戦』に
2017年から2021年まで5年連続で出場するなど、
デビューから55年経った今
幅広い活動をしているようです。
そんな水前寺清子さんですが、
1989年、43歳の時に6歳年下のサックスプレイヤー・小松明さんとご結婚されています。
結婚式は、故郷・熊本の水前寺公園にある出水神社で挙げたそうです。
小松明さんはバンドマスターでもあり、
多くの歌手の地方公演で指揮者を務めていました。
水前寺清子さんともコンサートで共演して意気投合したようです。
小松さんの音楽の才能に惚れ込み、尊敬して結婚したとのことですが、
当の小松さんは、結婚を機に音楽をすっぱりやめてしまったようです。
音楽をやめた後は、
水前寺さんの事務所の社長としてマネージメントやプロデュースに専念。
マスコミや仕事相手への抜かりない対応と、
ひたすら妻を売り込む低姿勢から、業界内では
「水前寺清」と呼ばれているそうです。
以前は水前寺さんのブログにも度々登場していました。
円満の秘訣は夫婦喧嘩をすることだとも語っていた水前寺さん。
そんな水前寺さん夫妻ですが、なんと
2020年12月に熟年離婚していたことが分かりました。
長年連れ添い、ブログでも仲の良い姿を載せていただけに、
なぜ離婚してしまったのか気になるところです。
続いては、水前寺清子さん小松明さん夫妻の離婚の理由について
考えてみましょう。
まず、考えられるのが水前寺さんのスケジュールが多忙すぎたことです。
近年、水前寺さんは2度の大きなけがを負いました。
1回目は2011年のこと。
広島でコンサートをしていた時、あやまってセットの階段から落ちてしまい、
左膝をはくり骨折してしまったのです。
病院で詳しく診察した結果、骨折だけなくじん帯損傷も判明。
担当医には、治るまでかなりの時間がかかる。絶対安静するようにと言われたそうです。
2回目は2014年。
脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)という、
腰椎が変形して脊柱管の神経を圧迫する病気で手術しています。
手術前はお尻から足先にかけてしびれを感じており、
歩くのに支障をきたすほどだったとのこと。
脚の感覚が麻痺するため、公演中にステージで転倒したこともあったそうです。
幸いにも術後3週間で退院し、後遺症などもなく元気にステージに立てているようです。
このように、2011年から数年、けがや病気を患った水前寺さん。
心身ともに疲労していたはずですが、スケジュールは過密だったそうです。
というのも、夫の小松さんは水前寺さんの個人事務所の社長。
社長として、水前寺さんにもっと働いてもらう必要があったのでしょうか。
過密なスケジュールを組まれた水前寺さん。
さすがの水前寺さんもキレる場面がたびたびあったそうです。
夫として妻の体調を気遣うことよりも、社長の仕事を優先してしまった小松さん。
社長・「水前寺清」の敏腕ぶりが離婚につながる原因のひとつだったのかもしれません。
さて、熟年離婚の原因として次に考えられるのが、
夫婦喧嘩の仲裁役を担っていた水前寺さんのお姉さんが亡くなったことです。
「夫婦円満の秘訣は喧嘩をすること」とブログに綴っていた水前寺さん。
そんな2人の夫婦喧嘩の間に入ってくれていたのが、
水前寺さんの姉の令子さんでした。
水前寺さんの歌のマネジメントも担当していたそうですが、
2017年に亡くなっています。
以降、小松さんが社長兼マネージャーとして動くことになったのですが、
2人の距離が近づきすぎてしまったことにより、摩擦が生じてしまいます。
怪我と病気の件ですでに悪くなっていた夫婦仲は、
2017年から2018年頃に急速に悪くなっていきました。
また、水前寺さんは結婚生活期間中、
小松さんに一度も褒められたことがなく不満に思っていたようです。
仕事現場ではもちろん、自宅に戻っても
仕事のダメ出しを延々とされる始末。
2人はたびたび口論になっていたそうです。
水前寺さんと仲の良い八代亜紀さんによると、
小松さんはかなり献身的に尽くすタイプで、
一生懸命水前寺さんをサポートしようとしていたようですが、
水前寺さんにはそれがかなりのストレスになっていたようです。
水前寺さんも、
少なくとも家庭内では優しくしてもらいたかったのかもしれません。
結果、ストレスが爆発したのか、
水前寺さんは衝動買いに走るようになり、
高い服を買ってもほとんど封を開けず、
自宅の9割が水前寺さんの服で埋まる事態になったそうです。
その結果、小松さんもストレスがたまるようになり、
夫婦仲の悪化は加速。
小松さんが世田谷区内にある自宅を出る形で別居生活がスタート。
個人事務所社長も退任し、財産分与も済ませた上で
離婚が成立したとのことです。
なお、新社長には水前寺さん自身が就任しています。
歌手・水前寺清子の右腕として、長年歌手活動を支えていた小松さん。
その小松さんを失ったものの、水前寺さんは現在も元気に活動しています。
再び紅白歌合戦に出場するのが夢だそうです。
一方の小松さんはというと、
「どうにかならなかったのか?」と未練があるようです。
「今でも水前寺さんのことが大事だし、
自分の身体のように思っている」とコメントしています。
69歳というご高齢で相方を失い、弱っているようですね。
ともかく、心身ともに健康に気をつけてもらいたいものです。
いかがでしたか?
今回は演歌歌手・水前寺清子さんについて、
経歴や小松明さんとの結婚を紹介し、
最後に熟年離婚の話題を取り上げました。
最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。
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それでは、また。