菊容子が突然この世を去った耳を疑う事件に一同驚愕…「好き!すき!!魔女先生」のヒロインを苦しめた”犯人”婚約者の藤沢陽二郎のまさかの現在に震えが止まらない…
みなさん、こんにちは。
菊容子さんは「好き!すき!!魔女先生」でヒロイン役に抜擢され
人気女優の仲間入りを果たした女優です。
しかし、そんな菊容子さんは婚約者によって殺害されてしまったのです。
今回は、菊容子さんが殺害された事件の真相についてや
犯人の現在についてご紹介します。
まずは、菊容子さんのプロフィールをご紹介します。
愛称:ジェジェ
本名:菊池 洋子(きくちようこ)
生年月日:1950年9月26日
出身地:神奈川県横浜市
所属事務所:東京俳優生活協同組合
初登場は彼女が2歳の時、富士フィルムのモデルとして公に姿を表しました。
その後、6歳で「少女クラブ」という講談社出版の
少女向け雑誌の表紙モデルで芸能界デビューを果たしました。
1959年には『城ヶ島の雨』という映画で子役デビューしました。
しかし中学に進学後、芸能活動を一時休止します。
再度芸能界に顔を出すのは彼女が中学3年生になってからです。
NHK主催の新人オーディションで2位合格となり
これをきっかけに女優業に専念していきます。
この時芸名が決まるのですが
本名が菊池洋子で「さんずい」が並ぶので縁起が悪いとされ
菊容子になりました。
1971年に朝日放送のドラマ
「好き!すき!!魔女先生」でヒロインの月ひかる役に抜擢されます。
無名の彼女を一気に伸し上げたのがこの作品。
これを機に彼女の知名度はみるみる急上昇していきます。
1972年にはNHKのクイズ番組「連想ゲーム」でレギュラー出演を果たし
バラエティ番組にも出演し更にその知名度を上げていきました。
そんな菊容子さんがある日、1人の男性によって殺されてしまいます。
その犯人はなんと彼女の婚約者。
当時人気絶頂の菊容子さんが殺され
しかもその犯人が婚約者であることは世間を大変驚かせました。
2人の間に一体何があったのでしょうか。
そして犯人の婚約者とはどんな人物なのでしょうか。
今日にも語り継がれるこの奇妙な事件の真相を順を追って一緒に見ていきましょう。
犯人は菊容子さんの婚約者で藤沢陽二郎さんという俳優です。
彼は異常に嫉妬心が強く、菊容子さんが他の共演者の男性やプロデューサーと
浮気をしていると常に思い込んでいました。
そんなある日、藤沢陽二郎さんが部屋で
菊容子さんが誰かと電話しているのを発見しました。
自分を裏切って誰かと浮気していると思い込んだ彼は
電話コードで彼女の首を締め殺してしまいました。
いくら嫉妬心が強くても愛している婚約者の首を閉めて殺すというのは
とても現実離れしています。彼の心の闇が相当深かった事がわかります。
1975年4月29日、菊容子さんが殺された後
彼女を一番に発見したのは彼女の父親でした。
昨晩娘の菊容子さんから頼まれていたモーニングコールを
約束の9時に何度しても一向に出ず
不信に思った父親が舞台予定の新宿コマ劇場に直接確認しにいきます。
新宿コマ劇場に娘の姿を発見できなかった父親は
直ぐに菊容子さんの自宅に訪れ事件が発覚しました。
ベットの上で下着姿で仰向けに死んでいた娘。
首には細い紐のようなもので締め付けらたような跡がありました。
その後父親は「娘が死んでいる」と警察に通報しました。
父親は、経済力が無くほぼ無名の藤沢陽二郎さんと娘の結婚は
そもそも反対していました。
実は昨晩の菊容子さんとの電話も
彼女からの藤沢陽二郎さんのストーカー被害の訴えや
別れたいと悩んでいる相談を受けていました。
父親は別れるべきだと主張していましたが
事件はそんな最中に起こってしまいました。
菊容子さんを愛しすぎてしまったあまり彼女を殺してしまった藤沢陽二郎さん。
嫉妬心が強かったとはいえ
他の誰かと電話しているだけで殺してまうのはなんとも不可解です。
藤沢陽二郎さんが菊容子さんを殺してしまった原因について
もう少し探っていきましょう。彼の心の闇が見えてきます。
当時人気絶頂の菊容子さんはドラマやテレビ番組に引っ張りだこでした。
もちろん菊容子の収入はみるみる上がっていき
月に100万円を越す時もありました。
一方の藤沢陽二郎さんですが
俳優業として活動はしていたもののまだまだ無名で人気もなく
鳴かず飛ばずの毎日を過ごしていました。
収入は無いに等しいほどでなんとか切り詰めて生活してくのがやっとの状態でした。
婚約者の菊容子さんとの収入格差は歴然で
劣等感を感じずにはいられませんでした。
更に、みんなの注目の的である菊容子さんに対し
ほぼ無名の藤沢陽二郎さん。
こんな2人がバランスよく付き合っていくのはなかなか難しかったようです。
収入格差は広がっていくものの
菊容子さんはその優しく真面目な藤沢陽二郎さんの人柄を愛していました。
しかし日に日に多忙を極めていく菊容子さんと
仕事がなく時間を持て余す藤沢陽二郎の間には
必然的にすれ違いが生まれきます。
藤沢陽二郎さんは菊容子さんが自分の居ないところで
他の誰かと浮気をしていると思い込みはじめ
撮影中のスタジオに確認しにいこうとしましたが
無名の彼は門前払いで中に入れませんでした。
目に見えない分余計に
「マーネージャーやプロデューサーと浮気している!」と
強く思うようになっていきました。
そして菊容子さんへの嫉妬心は徐々に歪んでいき
夜中に電話するようになったり
彼女の自宅に黙って忍び込んで私物を物色するようになりました。
実の婚約者にも関わらずストーカーのようになってしまった藤沢陽二郎さんに
徐々に気持ちが冷めていってしまった菊容子さんは
遂に彼との交際を断ろうと思い始めました。
しかしそんな時に前述したような事件が起こってしまいました。
婚約者からストーカー、そして殺人犯になってしまった藤沢陽二郎さん。
菊容子さんの殺害後、彼はどのような行動にでたのでしょうか。
殺害後の彼の同行を追っていきたいと思います。
1975年4月29日、藤沢陽二郎さんは菊容子を殺害した後
世田谷区に住む彼の友人の自宅に訪れます。
そこで「菊容子を殺害した、午後に自首をするので同行してほしい」と
友人に伝えその場を去ります。
友人は驚きながらもそのまま直ちに通報
「友人の藤沢が家に来て、高田馬場近くのマンションで
『女性を殺してきた。』と告げて立ち去った」と警察に話します。
警察は直ちに藤沢陽二郎さんを重要参考人として彼の行方を追いました。
しかしそんな藤沢陽二郎さんは約一ヶ月後に
大破した車の中で発見されます。
彼は小田原市早川の有料道路内で橋の欄干に
自身が運転する車を二度ぶつけ、自殺を測ろうとしました。
この怪我により藤沢陽二郎さんは全治4ヶ月の重症を追います。
警察に捕まったあと
「自分は菊さんが好きで結婚したかった。
しかし菊さんが他の男と交際しているため
注意したが聞かなかったので殺した」
「自殺しようと思った」などと供述しました。
その後、警察から電話の相手は浮気相手ではなく父親だったことが知らされます。
浮気相手がただの思いこみだった真実を知った藤沢陽二郎さんは
ただただその場に泣き崩れました。
懲役7年を終え、出所した藤原陽二郎さんは
今現在どこで何をしているのでしょうか。
社会復帰しているのでしょうか。
噂によると寿司屋の娘と結婚し家庭をもっていて
仕事は実家の後継として整体院を営んでいるそうですが
真偽は分かりません。
1975年、当時24歳という若さで悲しくもこの世を去った菊容子さんですが
44年経った今でも彼女への追悼の思いが多くの方から寄せられています。
彼女へのメッセージを投稿できる専用サイトまであります。
「月ひかる先生 子供の頃 憧れのお姉さんでした。」
「月先生は、今も心の中にいます。あの時のままで」
「あなたを殺した犯人が許せない。ご冥福をお祈りします。」
などの書き込みがあり
彼女が生前多くの方に愛されていたのがわかります。
藤原陽二郎さんには、一生をかけて更生してほしいですね。
最後までご視聴ありがとうございました。
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それでは、また。