イルカの旦那・神部和夫を20年支えた闘病生活に涙が零れ落ちた…『なごり雪』で有名な女性歌手の息子のまさかの現在に驚きを隠せない…
みなさん、こんにちは。
フォークシンガーで、絵本作家のイルカさん。
1975年にリリースされた、『なごり雪』は、今でも春の終わりの季節になると流れてくる、
永遠の名曲となっています。
今回は、イルカさんの経歴、家族、そして現在の活動についてご紹介します。
まずは、イルカさんのプロフィールから見ていきましょう。
本名:神部 としえ
旧姓:保坂
生年月日:1950年12月3日
学歴:東京文化女子中学 卒業
東京文化女子高等学校 卒業
女子美術大学 卒業
出身:東京都中野区
ちなみに「イルカ」という名前の由来についてですが、大学のフォークソング同好会に、
在籍していた時、みんながギターケースを持って帰るのをみて、「イルカの群れみたい」と、
発言したことで、周りから「イルカ」と呼ばれるようになったそうです。
次に、家族について見ていきます。
イルカさんの父親は、ジャズバンド「スターダズターズ」のサックス奏者、保坂俊雄さんです。
スターダズターズとは、日本ジャス界の草分け的存在である、渡辺宏が率いるバンドで、
1945年に結成。メンバーにはディック・ミネ、石井好子、かまやつひろしの父、ペギー葉山、
日野皓正などの豪華メンバーで、加藤茶もバンドボーイをしていたことでも知られる、
伝説のバンドです。
イルカさんは子供の時から、父親のステージを見に行っており、
ラストの『スターダスト』が流れると、父親がピンスポットライトを浴びて、
感激していたそうです。
また、美空ひばりさんの「ひばり&スカイ」の指揮者でもあり、その縁で、後にイルカさんが、
美空ひばりさんのシングル『夢ひとり』を作曲したこともあります。
また、親子でもレコードも出しています。
イルカさんの夫は「シュリークス」のメンバーだった、神部和夫さんです。
二人は、1972年、イルカさんが22歳の時に、結婚しています。
神部和夫は1947年京都府生まれです。
1969年、早稲田大学フォーク・ソング同好会のメンバーで結成された、
「シュリークス」のリーダーでした。
そして、1970年にイルカさんも「シュリークス」に加入します。
イルカさんが加入された時は、メンバーの嘉屋さんが脱退して、ザ・リガニーズの所太郎さん、
という方が参加していました。
しかし【君の生まれた朝】をリリース後、メンバーである、山田さん・所太郎さんが脱退します。
「シュリークス」は神部さんとイルカさん、ふたりで活動することになりました。
この後に二人は結婚するのですが、シュリークスとしての活動は、
1974年で終了となってしまいます。
その後イルカさんは、1974年にソロシンガーとしてデビュー。
夫の神部さんが、イルカさんのマネージャーや、
プロデューサーを務めることになりました。
そして、ソロシンガーとして活動し始めたばかりの、1975年から1976年にかけて、
【なごり雪】が大ヒットを記録します。
イルカさんといえば、検索ワードに「なごり雪」と出てくるくらい、
イルカさんを代表する曲なのですが、実はイルカさんが作った曲ではなく、
かぐや姫のメンバーである、伊勢正三さんが、作詞・作曲されており、
伊勢さんご自身もセルフカバーで歌っておられます。
イルカさんの夫神部和夫さんとは、同じグループで活動を共にし、そしてご結婚。
ソロになったイルカさんを支えるために、音楽プロデューサーに転身され、
公私共に過ごしてこられました。
始め、ソロで活動をすることに、イルカさんは泣いて嫌がっていたそうですが、
神部さんは、自分がプロデューサーとなって、イルカさんを支えると決意。
グループ解散後は完全に裏方として、イルカさんを支え続けてこられました。
神部さんも音楽の才能のある方だったと思いますが、自分が音楽を続けることよりも、
イルカさんの才能の方を高く評価していたのでしょうね。
そんな神部さんですが、2007年3月21日に、59歳という若さでお亡くなりになっています。
そのご病気というのが、20年にも及ぶ「パーキンソン病」でした。
パーキンソン病とは、長い期間をかけてゆっくり、心身機能が冒されていく病気です。
高齢者に多い病気かと思っていましたが、非常に稀ですが、10歳という若い年齢でも、
発症することがあるみたいです。
神部さんは、40歳前後で発症されたようです。
まだ働き盛りでこれからという時だったでしょう。
この病気が発症したことで、プロデューサーという職業柄、
人と話さなければならない仕事にも関わらず、神部さんは人と話すのが怖くなったそうです。
そういうこともあって、イルカさんは周囲やファンに黙って、夫の闘病生活を実に20年に渡って、
送ってこられました。
肉体と精神の障害のため、北海道の旭川市にあるリハビリ病院で治療をうけ、
イルカさんは東京と、北海道を頻繁に行き来しながら、献身的な介護に努めました。
闘病生活や、夫婦間の切ない思いが語られている『もうひとりのイルカ物語』
というエッセイがあります。
イルカさんの息子ですが、1978年、28歳のとき、一人息子が生まれています。
神部冬馬さんです。
神部冬馬さんは、ソロで活動する、フォークソングのシンガーソングライター。
青山学院大学教育学部を中退後、イルカさんの助手などをしていました。
父親がなくなったことで、本格的に音楽活動を始め、「ESCAPISM」、「BoardingPass」、
「夢見るくじら」などをリリースしています。
現在は、ラジオパーソナリティ、バラエティ番組、舞台でも活動しています。
2005年、27歳のとき、一般女性と結婚し、娘をもうけますが、離婚。
2012年に再婚し、2019年に双子(男女)が生まれています。
なので、イルカには孫が3人いることになりますね。
なお、神部冬馬さんは以前、【有吉反省会】に登場し、「イルカ離れできない」ことについて、
反省をしており、禊により一時、名前を「クジラ」に改名されていたそうです。
そんな、音楽家系のイルカさんですが、現在の活動はどうなっているのでしょうか。
イルカさんはもちろん、今でも現役で活躍中です。
ラジオのパーソナリティを始め、もちろん音楽活動も続けており、毎年コンサートもされています。
また絵本作家ということから、絵本やエッセイなどの作品も多数出版されています。
それ以外では、2010年より、母校である女子美術大学の芸術学部、アートプロデュース表現領域の、
客員教授に就任されており、更には着物のデザインを始め、
手描きや染めなどプロデュースも行っているそうです。
そして2004年より、IUCN国際自然保護連合の初代親善大使に就任されており、
着物とIUCNとのコラボも実現されています。
音楽だけでなく、実はマルチに多方面に活躍されているイルカさん。
そして2016年には、デビュー45周年を迎えました。
そんなイルカさんのことを、夫の神部さんもきっと、天国から見守っていることでしょう。
これからもイルカさんの活躍を、応援していきたいと思います。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
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それでは、また。