【驚愕】竹内結子が亡くなる1週間前からの『ある異変』に涙腺崩壊…親友・イモトアヤコだけに見せたSOSがヤバすぎる…
みなさん、こんにちは。
2020年9月27日、自宅で自ら命を絶った
ドラマ「ランチの女王」(フジテレビ系)や、
映画『いま、会いにゆきます』などで知られる
人気女優の竹内結子さん。
にわかには信じがたい知らせに、
誰もが耳を疑いました。
今回は、そんな竹内結子さんの生い立ちや、
自殺に至った経緯、
イモトアヤコさんが号泣した
「一通の手紙」、亡くなる前に「竹内結子さんの
イモトさんに向けたSOS」について迫っていきます。
まずは、竹内結子さんの
簡単なプロフィールからご紹介します。
本名:竹内結子
生年月日:1980年4月1日
出身地:埼玉県
血液型:A型
身長:164cm
2020年9月27日の午前2時ごろ、夫である中林大樹さんが
クローゼットの中で意識不明の竹内さんを発見し、
119番通報。すぐに病院へ運ばれましたが、
搬送先で亡くなりました。
現場の状況から自殺と見られており、
遺書などは今のところ見つかっていません。
今年1月に第2子を出産したばかりだったため、
仕事をセーブしていた中で起きた悲劇でした。
2005年に中村獅童さんと結婚し長男をもうけましたが、
2008年に離婚。その後、2019年に中林さんと再婚しました。
獅童さんとのお子さんの親権は竹内さんが持ち、
中林さんと次男の4人で暮らしていたそうです。
2020年9月1日のサッポロ一番のイベントでは、
普段めったに話さない家族の話をしていて、
新生活も順調のように思えました。
竹内さんは、“長男を連れて再婚”した形となっりましたが、
実は自分の“境遇”について思いを吐露していたことがあります。
今から21年前、彼女がまだ19歳のころです。
「1999年に出版された、作家の桜井亜美さんの小説
「サーフ・スプラッシュ」の巻末の
解説を寄稿しています。
前年の1998年に、同じく桜井さんの
小説「イノセントワールド」を原作とした
実写版映画に出演しているので、
その縁から寄稿することになったのでしょう」
『サーフ・スプラッシュ』は、
高校を辞めたがっている2人の女子高生の物語。
1人が辞めたことで2人の手紙のやり取りがはじまり、
彼女たちの手紙のやり取りで文章は構成されています。
思春期の女子高生が主人公のストーリーとあって、
竹内さんの解説も自らの高校時代の回想となっています。
そこには当時における、
自分そして家族への思いも綴られていますが、
訃報が流れたことを踏まえて読むと、
複雑な感情を抱かせる。たとえば、
学校帰りに家に帰りたくなかったときに
抱いた思いを次のように表現しています。
「帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、
カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった」
竹内さんの父は彼女を連れて再婚しており、
高校生のときは心の拠り所がなかったように思える。
継母のことは
「一人の人間として父が必要とした女の人」と表していて、
家族での食卓は「晩の食卓の賑やかな景色が、
私にはガラス越しのものに見えた。
殺風景な自分の部屋でため息をつく」ものであったそうです。
父親は子どもを抱えての再婚という
特別な状況下において大人になった
竹内さんが築いた家庭は、
自分自身が育った家庭そのものだったのかもしれない。
当時の生活については、次のようにも綴っている。
「私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた」
「連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかった」
「その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった」
「私がもっと大人だったら、
何でもうまくこなせたかも知れない」
竹内さんにとって2人の子どもは、
当時表現したような「荷物」では決してなかったはずです。
そして、彼女の父もきっと同じだったはずだ。
40歳という年齢が、彼女の表現した
「大人」に入るのかはわからないし、
なぜ死を選んだのかという疑問もまた、
誰にもわかりません。ただ、あの笑顔が
もう見られなくなってしまったという事実があり、
受け入れるのには、ご親族の方や関係者、ファン共々、
かなりの時間がかかりそうです。
芸能界の中にも
竹内さんの死を受け入れられない人物がいます。
タレントのイモトアヤコさんです。
イモトさんは竹内さんと大のつく親友だったそうです。
あの日以来、イモトさんは憔悴し切っていて。
食事もほとんどのどを通らない状況だそうです。
昨年結婚したご主人ですら、
なんて声をかけていいのかわからない状態にあったとか。
売れっ子ゆえに、こんなときも目の前には仕事が。
それでも、「大丈夫です。ちゃんとできます」と、
現場では気丈に振る舞っているようです。
でも泣き通しなのか、
イモトさんの目はパンパンに腫れていたそうです。
ふたりが知り合ったのはいまから6年前で、
舞台での共演がきっかけだったそうです。
ふたりとも初めての舞台出演だったこともあってか、
すぐに意気投合。年は竹内さんのほうが6つ上でしたが、
名前で呼び合う仲になりました。
よっぽどウマが合ったんでしょうね。
食事も頻繁にした。その帰りには、
どちらかの家に泊まって女子会の続きをするのが、
お決まりの流れだったそうです。
もう帰るのも面倒と、竹内さんが当時住んでいたマンションに、
イモトさんがわざわざ引っ越し。
しばらく同じマンションに住んでいましたからね。
まるで「もうひとりの家族」のようだったそうです。
2017年末、イモトさんがレギュラー出演する
『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)の
登山企画で南極大陸最高峰に挑むことになったときには、
友情の連係プレーも。
「登山スケジュールの都合で、
イモトさんは年末年始にどうしても
日本にいられないことになったんですが、
そのせいで大みそかの『NHK紅白歌合戦』で
予定されていた安室奈美恵さんの
ラスト出演を見られないことになりました。
安室の大ファンとして知られているイモトさん。
最後の雄姿は、録画して帰国後に見るつもりでいたのだが、
「イモトさん、日本を離れる前に
『紅白』の録画予約するのを忘れてしまって。
そのピンチを救ったのが竹内さん。
連絡を受けた竹内さんが、
イモトさんのために
ちゃんと録画しておいてくれたんです」
竹内さんの心遣いはそれだけではなかった。
マイナス50度以下の極限の地で
命がけの挑戦をする大親友に、
サプライズも用意していた。
「山頂へのアタックを控えたクリスマス、
南極のキャンプ地に竹内さんから贈り物が届いたんです。
「日本食が恋しいはず」と、
竹内さんがCMに出演していた
インスタントラーメン『サッポロ一番』を
大きな段ボール箱にぎっしり詰めて送ってくれたそうです。
その箱の中にはラーメンのほかに、
小さなクリスマスツリーと1通の手紙が。
「かならず無事に帰ってきて」
という竹内さんからの手紙でした。
イモトさんは、感激して号泣しながら食べられました。
竹内さんのラーメンをうれしそうにほおばる様子は、
イモトさんのインスタグラムにも投稿されています。
竹内さんが自身のインスタグラムで、
唯一フォローしていたのが、
このイモトのアカウントだった。
「竹内さんは、イモトさんが新しい投稿をするたびに、
かならず「いいね」を押していたそうなのです。
しかし、亡くなる前の1週間、
ある「異変」が起きていました。
イモトの投稿にかならずあった
竹内さんからの「いいね」が、
ピタッと途絶えていたそうなのです。
その1週間でイモトさんは
4回写真をアップしているんですが、
そのどれにも「いいね」がなかったとか。
竹内さんがインスタを始めてからの3年間、
こんなことは1度たりともなかったようです
「空白の7日間」
それは竹内さんの小さな小さなSOSだったのかもしれません。
いずれにせよ、竹内結子さんの
ご冥福をお祈りするばかりです。
最後までご視聴いただき、ありがとうございました。
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それでは、また。